なにがどうだっていういわゆるど派手な売り文句がなにひとつない。にも関わらず、ごく当たり前の方法で、映画というのはこんなふうにできるんだというのを見せつけてくれる。 冒頭のかの裕仁の玉音放送がこんなにさらっと使われているのも見たことなかった。一瞬、ゑっと思ってしまった。50年間の日本の支配は色濃く、例えば阿嘉が赤猿の女と出会う洗面所のところに浮世絵が貼られてあったり、ところどころ日本語でしゃべられていたり、というふうに。その日本支配の被害者的描写も極力抑えられている、全然嫌みじゃない。その分、余計に、日本人として見る側にこたえるんだけれど。
思うに、清朝に支配されていた、また日本に支配されていたことが問題なのでなく、それは台湾自らの問題として捉えている侯孝賢の力技なのだ。だからこそ、淡々と歴史が物語られていくのが際立ってくる。ドンパチじゃなくて、村の京劇や、獅子舞、また台湾の風景でつなぐところがほんとに良いんだよ。
なんだかんだって、文清=梁朝偉(トニー・レオン)を軸に見てしまうんだけど、やっぱり父ちゃん=戯夢人生・李天祿でしょ。すごすぎるよ。李天祿いればこそ、侯孝賢がここまで創りあげれたと言い切ってしまいましょう。
様々なシーンで、例えば、記念写真だとか、筆談だとか、じーんと来るといろいろ語られるけれど、ボクはラストで李天祿が何事もなかったように飯を食ってる、そのシーンが好き。ドラマ自体がおしまいになって、付け足しのようにふっと見のがしてしまいそうなんだけれど、それが台湾の歴史だと。
蛇足だけれど、食事シーンがやたら多い。この食事シーンは見ものだよ。何がどうだとはここでは言いませんが。