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 ▼ 河瀬直美『萌の朱雀』 (97 WOWOW・バンダイ)


 泣けるよ!
 ボクが、バイクに乗って、あっちこっちウロチョロしているのは、カッコイイ言い方をすれば「自分だけの風景」をさがすため。ちなみに夏に北海道の美瑛なんかに行ってみ。そんなライダーが、ゑ、こんなところで何してる?ってくらいにようけいてる。
 見た瞬間に、やられたっ!と思ったね。この西吉野村ってのはボクのバイクのホームグラウンドみたいなところなんよね。穴の開くくらい、ここはどこだと探りいれてみたけど、やっぱりわかんねぇ。ぱっと見たところ、中辺路の果無山脈かとも思ったけど、やっぱり西吉野村のどこかだね。どこかはここに答えが書いてあった。
 ドキュメンタリーかなと思うくらいの過疎の話。でもドキュメンタリーじゃない。知れた役者といえば、國村隼くらい。尾野真千子(高校生の娘)、はお初。あ、そうそう監督の河瀬直美もお初。それもそのはずで、調べたら、この尾野真千子は河瀬監督が現地調達したぴかぴかの新人だった。その後、『EUREKA』、『ギプス』などに出演してる。祖母役の和泉幸子はまた西吉野村のふつーのばあちゃんに戻ってしまってる。母親役の神村康代、父親役の柴田浩太郎と、結局、國村隼以外は素人でやってしまってる。
 でね、それ調べるのにあっちこっち見てたら、人間関係が説明不足だとか、淀長さんに至っては、『萌の朱雀』って映画が文学きどってどうすんだ、という調子。
「河瀬直美監督自身による脚本が映画学校の一年生のごとき脚本で、てんで人生が描ききれていないからだ。」(淀川長治)なんてね。そうなんかい? 遠くの山を見詰めるばあちゃんの顔の長回しは人生描きすぎてあまりあるとボクは思う。あなた、それは閉じた暗い空間で人生を費やしすぎたんとちがいますか。でき上がった観光地だけを回ってたんとちがいますか。「自分だけの風景」というのを持ってましたか。じっと遠くを見詰めるばあちゃんの顔、それを執拗に長回しでとらえるカメラ。ボクはたまんないけどね。
 ふつうの映画の常識、決して映画学校なんかでは教えない映画技法、そんなものを打ち破ってしまってる新鮮さじゃないよなぁ、なんと言ったらいいんだろう。
 極度のセリフの少なさ。関係がわからないって? モーニングショーの芸能レポーターのように、あーじゃこーじゃ説明してもらえないと納得できないのか。ボクはほとんどラスト近くまで家族関係というものは把握できてなかったよ。必要ある?
 喧しいだけのこけ脅しにすぎない爆音だらけの映画なんて。音楽?そんなもの、流れてた? 西吉野村の現地にはそんなもの流れてない。風の音、鳥の声がすべてなんじゃないか。
 もうもうたまらなく愛しく思えるシーンというのは、みちるが出ていく前の夜、二人で大屋根に上がるシーン。母親が実家に戻ると娘に告白するシーン。誰だって、知っている。言葉にできない瞬間というのを。それを映画だと思うとどうして待つことができない。あのシーンの間、間というもんじゃないね、あの時間は、ほんとに映画の常識じゃ語れないドキュメンタリー紙一重は河村監督の天性のセンスだと思うのはボクだけだろうか。
「特に北米なんかに行ったりすると、日本の方だったら「あそこ〈あの場面〉では、じ〜んときたわ」と思われるシーン〈栄ちゃんがみちるの頭にぽんと触れて、みちるが「好きやねん」と言う〉で、あっこでね、大笑いになるんですよ(会場笑)。笑わせるために作ってないですよ、もちろん。あぁ、なんか馬鹿にされてるのかなぁ、と思うと、やっぱりそうではなくてですね、コミュニケーションを言葉に頼ってる人種にとって女の子にあれだけ体当たりで告白されてるのに、何で抱きしめてキスしないんだろう?っていう笑いなんですね。」 (しんゆり映画祭
 この河瀬(仙頭)監督自身のことばで、ボクが何を言いたいか、わかるでしょ。

 で、きっちりもう行ってきた。ほれ

この家の周囲は映画と同じようにほんと鳥の声がよく聞こえた。


映画の中では読み取れなかったけれど、漢字2文字のバス停の看板があった。でもほんとうは「賀名生」。このバス停に偶然行きあたって胸キュン、じんと切なくなりました。

まごまご日記 2001/11/06にこの『萌の朱雀』ツーリングのツーレポアップしてあるのであわせて読んでみて

CinemaScape ★★★★★ 
 


2001年11月06日(火)
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