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 ▼ ヴィム・ヴェンダース『パリ,テキサス』 (84 独・仏)


 表情さえ見えないまでにぐっとしぼりきった暗い映像と、わざとらしくまで思えるようなどぎつい空の色をしつこく描いた映像。顔の表情さえ見えないで声だけが聞こえてくる。その映像にどれくらい苛ついたことやら。
 ストーリー的にはごくありふれた話に過ぎない。ほとんど何のひねりもなくて、単純明快。別れた男と女が4年の歳月を経て「出会う」。それに二人の間にできた子どもの問題が絡んで、その親子の出会い。下手をすれば安物のメロドラマ、もっと下手すれば、家族の関係なんて、映画で道徳説かれても困るわけ。しかも、トラヴィスの弟夫婦の葛藤、「パリ、テキサス」なんてことさえも中途半端に終わってしまう。
 ところが、初めに書いた暗と明の映像の対比、この対比ってのは結局、終盤のあののぞき部屋のシーンへの布石だった、と、ボクは思う。こののぞき部屋に向けてどっと集約されていくベクトルの大きさに比べれば、ストーリーの単純さ、甘さなどというのは吹っ飛んでしまうわけ。のぞき部屋という仕掛けがいかに象徴的に多くのもの、男と女の関係、親と子どもの関係、さらにはコミュニケーションの問題を表現しているものか。それは今さらボクが言うまでもないことだと思う。
 と、考えたらロバート・ミューラーのカメラはぶっ飛びもんでしょ。テキサスの空の色、LAの夕焼けの色、そしてとにかくあののぞき部屋シーンは圧巻。ナスターシャ・キンスキーの顔がわずかにわずかに変わっていくのにはもう絶対だね。それからナターシャの顔にトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)の顔が重なっていくところはもう涙モンなんだって。
 そしてそのことに何ら説教臭い解答などというものを示してるわけでもない。ボブ・ディランの言葉になぞらえてみると、「答えは、砂漠の中を、パリ・テキサスをめざして歩いている」  ね、そう考えるとどうして「パリ・テキサス」でなければならなかったのかというのもわかってくる。ちなみに、これは仏・独映画で『パリ・テキサス』というタイトルだから、テキサスとパリを舞台、とくにパリを舞台にしたオッサレ〜な映画なんて思うだろ。パリなんて一瞬たりとも出てこないよ(笑) テキサス州にパリというところがあるんだという。よくそういうところから、こんなふうに引っ張れるモンだと脱帽だよ。

  をを〜〜と、とても大事なことを書き忘れるところだった。ハンター・カーソン、子どもね。子どもの使い方がすごくいい。話の中で非常に重要なキーを握ってるのに、子ども子どもとした扱い方をしてない。もちろん、子どもを売りにしてるのでない。ボクは子どもを売りにしてるのってイヤなんだよね。

CinemaScape  ★★★★★  


2001年11月17日(土)
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