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 ▼ 斎藤久志 『サンディドライブ』 (98 海獣シアター)


 それを狙ったんだろうけれど、終始だらぁーんとしていて、『サンディドライブ』というにはドライブ感がまったくない。いろいろと探ってみたよ、いいところを。ああ、でもついてけない、このテンポの悪さには。監督が斎藤久志であるというよりも、塚本晋也の名前が先に立ってしまって、『サンディドライブ』も塚本晋也=『鉄男』『東京フィスト』で観てしまうから、あの駆け抜けるスピード感はどこに消えたんだという拍子抜けが拭えないからなのか。
 監督自身が《 1.説明がない 2.登場人物がストレートに感情を云わない 3.カットが長いの3点から「よくわかりにくいと云われる」》とパンフに書いてるらしいけれど、わかりにくいことはない。塚本晋也のぼけまくってる味が全編を通してぼけまくっていて、それが噛めば噛むほど味が出てくる。ところがどうもばちっと来ない。唯一、どんぴしゃ合ったのは、あ、この話このままで終わればベストだなと誰もいなくなった車の中の長回しだけ。
 「俺がやったんだ」という塚本のことばにしろ、ぼけた味が逆に効果的なのだが、そう塚本が何度も自分自身に言い聞かせて、シンジのところに強盗に入ったときに、これもまったくリアルさがない。緊迫感がない。この緊迫感のなさが全編を覆い尽くしていて、観る側には妙な安心感がある。ところがだ、叩き起こされたシンジの顔が笑っている、というか芝居になってない。これではその逆説的な緊迫感がぷっつり切れてしまうのだ。こんなシーンがいくつかあったのではちょっとねぇ。
 さらに音録りの悪さ。より自然感を出す意図なのかもしれないけれど、「・・・・」の多い会話であるに関わらず、会話そのものが聞き取りにくい。まさか会話にならないことば数の少なさをリアルに表現しようとしたのでもあるまいに。しかし肝心なシーンでの会話まで意味のない「・・・・」に聞こえてしまう。劇場で観るならまだしも、家のビデオで観たボクには辛すぎる。
 例えば風呂場のシーン、風呂の外から唯野未歩子が話かけるシーンだ。ここで鏡の中に風呂の外に立つ唯野未歩子と塚本晋也の裸の背中の長回し。この構図はいいのだけれど、だからといってあれだけ長いのも飽きてくる。さらには風呂の外から話す唯野未歩子の声はしっかり聞き取れるのに、風呂の中に入ってきた途端、何をしゃべっているのか、非常に聞こえにくくなる。このシーンというのはすごく大事なシーンであるのに。そう、ここで唯野未歩子が塚本晋也の背中を流すのだけれど、あの背中の流し方はないなぁ。これも緊迫感がぶち切れられてしまう。
 このボソボソリアル感、時間の流れの遅さに、思わず、『萌の朱雀』と比較してしまっていた。『萌の朱雀』のほうはなまじ海外で賞とったりしたものだから、あっちこっちで叩かれてるけれど、どちらもそれなりに面白い。とくにこの『サンディフィスト』のアイロニカルな話しの展開はすごくいいだけになんだかもったいないような。
 ぼけた味の緊迫感のなさ、ボソボソリアル感というのは両刃の剣になってしまう。観る側にとってどちらの刃で斬られるかにどちらにでもころげる映画だなと思った。

  ★★☆  


2001年12月11日(火)
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