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 ▼ ブリュノ・ニュイッテン『カミーユ・クローデル』 (88 仏)


 伝記モノというのは、いまいち好きではなくて、やっぱり前半は結構退屈してた。それでもなんとかもちこたえれるのは、イザベル・アジャーニはボクのいっちゃん好きな女優だから。良くも悪くも、彼女のエキセントリックなところが好き。
 で、ロダンとの関係が怪しくなるあたりから、イザベル・アジャーニの本領発揮。吼える、吼える。現実のカミーユ・クローデルもかくやと思われるエキセントリックさにただ唖然。ヘタすれば、うーん、ロダンってこんな悪役だったのかと、同じ組み合わせで『ロダン』も観てみたいぞ。
 それはそれでおいといて、うーん彫刻家というのはすごいものだな、カミーユのご近所さんのボクちゃんが「石の中に人間がいるの?」というように石から人間をとりだしてしまうというのはすごいのだな、そして魂がのりうつってしまうとその土なり石なりの塊を激しく抱擁しさえするものなのだと。
 でもそういうのって、へぇそうだったんだというだけで、映画としてのおもしろさがいまいちつかめない。とくにカミーユ・クローデルという人物に対して、あらかじめこちらが持っている鍵がなさすぎる。だからイザベル・アジャーニがつきつけてくるカミーユ・クローデル像がほとんどすべてになってしまう。解釈のしようによっては、イザベル・アジャーニという彫刻家がカミーユ・クローデルの像を創り出したのだと考えられないことはないけれど。ちなみに、イザベル自身がプロデューサーでもあり、監督のブリュノ・ニュイッテンが元内縁の夫(この映画の時点では別れている)で、イザベルの気性からして、少なくともカミーユに関する部分は彼女自身が創りあげたと言い切ってもいいんでしょ。だからイザベル自身があまりにカミーユにはまりすぎていて、観る側はあっけにとられていて、そういう意味でいまいち楽しめなかった。
 もちろんセットがすごいなぁとか、絵画ならまだしも、彫像のレプリカをよくこれだけ作れたなぁと感心もしてしまうのだけれど、やっぱりアジャーニがきつすぎて、そういうところにはまって行けなかったのが正直なところ。すごいなあとは思うんだけれど。
 むしろロダンのジェラール・ドパルデューを観ているほうがおもしろかった。やっぱりあのロダンの手。触感フェチのボクとしては、彫像を手でさぐっていくところなんかぞくぞくしてくる。カミーユが抱いて欲しいというのをそっちのけで、カミーユの創った彫像を目を閉じて手の感触だけで確かめようとするシーン、ボクとしてはもっともっともっと官能的であってほしかったけれど、でも最高だったね。
 それでもその彫刻家ロダンの手であっても、幾度もカミーユのおなかを確かめておきながら子どもができていることに気がつかなかった、とカミーユがロダンをなじるのが、もっともきつく印象的な言葉だった。

★★★  


2001年12月20日(木)
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