nikki-site 雑文速報
 あいうえお順INDEX 



 ▼ ロベルト・ロッセリーニ監督『殺人カメラ』(48 伊)

善人も悪人も同じ顔をして一緒に歩いている。至言でしょ


 タイトルからしたら、ホラーもんの走りかと思いきや、さにあらず、のどかな寓話。こういうのが許された時代ってよかったなぁと思う。ロッセリーニというのは「ネオ・リアリズム」として語られるけれど、じゃあ、現代描かれている映画のほとんどすべては何リアリズムというのだろうか。よりリアルに見せようとするあまりに滑稽でしかないんだけれど。逆にロッセリーニのどこがいったいネオ・リアリズムなんだいと聞かれても、さぁ?としか答えられませんけど。その道の人たちは勉強してくれい。ボクは楽しければいいです。

 まず、あれは何てんでしょうね、要は子どもが家だとか人形だとかを並べて遊ぶように、山だとか、それを隠していく家々、そして登場人物の人形を並べていく、それもきっちゃなぁい手が映しだされて、「さぁ、物語が始まりますよ」という冒頭に思わずのけぞってしまう。その昔、1960年以前のこと、ボクのオヤジが8mmを買って、ボクや弟をモデルに映画監督のまね事をやっていたころを思いだしてしまった。技術の進歩でどこかに置き忘れてしまっていたことを思い起こさせてくれて、非常に新鮮に見えてしまう。
 さてと、話はイタリアのどこか、山と海に囲まれたかなりのど田舎。乞食然としたじじい聖人が写真屋チェレスティーノ(ジェンナロ・ピサノ)の前に現れて、彼のカメラを写された写真を再度カメラで写すと、その瞬間に、写された人物が謀殺されてしまうという呪いの殺人カメラに変えていく。
 試しに表にいるロバを写し、その写真を写したところ、はたしてロバはその姿のまま死んでしまっていた。このくだり、ロバを一度写してそれを現像し、ただちに現像された写真を撮るなんてのは、時間的にどう考えたっておかしいのだけれど、そんなことは一切おかまいなし。この隙だらけと言ったらいいのか大らかさがたまらなくいいのだ。
 思わず正義の力武器?を手に入れたチェレスティーノは次々とカメラによる殺人を犯していくのだが、まったく罪の意識はない。あくまでカメラを使うのは正義のため。おりしも、そのど田舎でも、越後屋はおるわ、悪代官はおるわ、悪徳金貸し婆あはおるわ、町議会はまるでどこぞの国の国会みたいで、田中真紀子までおる始末。この国会、いや町議会シーンはほんと見モノだよ。むちゃおもろい。その連中をチェレスティーノは、必殺仕置き人となって、町の中を駆け回る。ほんとこのおっさん、ほとんど全てのシーンで走りまわっているのだ。が、しかしその騒ぎの中で、突然、浜で日光浴する半裸の女が現れるのだが、まわりが写真写せぇーと騒ぎ立ててもチェレスティーノは写そうとしないのはさすが。写真屋チェレスティーノが、ぼそっと語る。
    「世界最後のバカであるオレは原爆より強いのだ」と。
 やがてチェレスティーノの闇の仕事に気づいた医者が止めに入るのだが、ひょんなことでその医者を撲殺してしまう。このときに初めて、チェレスティーノは殺人を意識するのだ。そうして彼のとった手段は。。。。と、そのときに聖人が現れ、自分は11万3000歳の悪魔だと明かすのだった。

 これで物語はおしまい。最後の教訓は寓話のお約束です。心しましょう。

★★★★  



2001年12月25日(火)
 ≪   ≫   NEW   INDEX   アイウエオ順INDEX   MAIL   HOME 


My追加