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 ▼ スパイク・リー『クルックリン』 (94 米)


 「クルックリン」というのは、ブラックの子どもたちが「ブルックリン」というのに「クルックリン」と訛るからだとか。でもイメージ的に、ブルックリンでもなさそうな、どこか毒気を抜いてしまったブルックリン。という意味での『クルックリン』の気がしてならないんだけれど。これって偏見かい? 淀長は「映画で見る限り都会の下町の古い町。少し気っぷが荒っぽく、そのくせ人情が深い、それに学問とは縁のない町という感じ」と、浅草なんぞを連想するみたいだけれど、ボクはその程度なんかいと思ってしまう。実際に、ブルックリンはほんの少ししか歩いたことはないんだけれど、それもブルックリンのコアなところ(どのあたりなのか知らない)じゃなく、ごくごく限られたブルックリンのごく一部だけ。それでもビビった。ハーレムで言うなら、アポロのある125丁目は確かに浅草や大阪の新世界なんかを連想してもいいかもしれない。ところが135丁目まで行くとがらっと雰囲気が変わる。さすがに入り込んではいけないところに来てしまったという感じが強かったのだ。
 つまり、この『クルックリン』は、まだ外の人間が安心して観てられる部分しか描かれてないのじゃないか、ブルックリンに似てブルックリンに非ず、だから『クルックリン』
 そういうブルックリンであろうがなかろうが、人間としての普遍性を描こうという試みは確か。ただ、淀長のように「人間みんな同じ、人間みんな楽しい、人間みんな泣く日もあるよ」なんて能天気な気持には決してなれない。やっぱりスパイク・リーを観るからには心して観ておるよ。ハリウッド観てるんじゃないんだから。

 そういうことはさておいといて、10歳の女の子トロイ(ゼルダ・ハリス)がむちゃくちゃいいのだ。セントラル・パークでちょうどその歳の小学生の遠足に出くわしたことがあるんだけれど、ブラックの女の子のビーズで編んだ髪の毛がほんと可愛い。トロイが南部の叔父さんだかの家に預けられたときに、そのクリクリの髪の毛をコテで伸ばされてるシーンがあるんだけれど、あれはブラックのアイデンティティをひっくり返そうとしているのだと、スパイク・リーならではの象徴的な表現だったとボクは思うのだけれどどうなんだろう。
 トロイが預けられていた南部から戻ってきて最初に電気を点けて消してなども、すごく細かいところまで表現しているところなどはさすがというべきでしょ。
 母親の葬式に出るのに、「ママはポリエステルは嫌いだ」という緑のドレスを着せられて渋々表の階段を下りてくるときのゼルダ・ハリスの表情がほんとすごくいい。ブラックの子どもたちにとってはごくネイティブなんだけれど、あの表情の出し方というのはちょっと真似できないなと思う。
 長男の名前、クリントン! 断っときますが、決してビルじゃないです!ジョージだよ(笑) 全然関係ないのですが。(うちのホームページのメイン見てたらなんのことかわかるけど)
 父ちゃんのリロイ・ハドソンは、このあたりでちょくちょく見かけるんだけど、渋くて好きなんだよなぁ。額に汗しながら懸命にトロイに語りかけてるところなんぞ、うんうんと頷いてしまいます。
 で、やっぱりにんまりさせてくれるのが、Soul Train のテレビで子どもたちが踊り始める。こうでなくっちゃなのです。Soul Train ネタではもう一度ニンマリさせてくれます。

 ま、あまりスパイク・リー、ブラック・ムービーというのを意識しなければ、ほのぼのと楽しめる、ひょっとしたらほろっとさせられるかもしれない映画。素直にお薦め。

★★★★  



2001年12月29日(土)
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