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 ▼ ジョン・カサベテス『アメリカの影』 (60 米)


 ほい、2001年のトドメの一発!
 ミンガスが吼えるよ。これくらい、ズージャ(あえてジャズというよりズージャ)が似合うのも珍しい。映画の最後に
「これは(即興)により撮られた」
と明かされる。ボクに限って言うならば、この「improvisation」ということばは、ズージャのアドリブ演奏という意味で最初に入ってきた。コード進行、テーマはあらかじめ決まってはいるが、8小節なりはそれぞれのimprovisationに任される、というのが、モダンジャズ=ダンモの形態なんだというふうに。つまりこの映画においても、チャーリー・ミンガスの地を這うようなベースは、たぶんアフレコで、映像を流しながらのimprovisationであったというのは簡単に想像がつく。
「なぜなら、ジャズはオーガズムだからであり、よいオーガズムと悪いオーガズムの音楽だからである。」(ノーマン・メイラー『白い黒人』'59)
 あえぎ声(実際にそうした濡れ場はないのだが)をジャズが受け持っていると言ってもいい。
 そして、ヒュー(ヒュー・ハード)、ベン(ベン・カラザース)、レリア(レリア・ゴルドーニ )というブラック系の3兄弟、とくに妹レリアと白人のトニー(アントニー・レイ)とのラブ・ストーリーというコード進行は決まっていただろうけれど、それぞれのシーンは彼らのimprovisationに任せて撮られたといわけである。これがちょっと信じられないくらいの完成度を見せているのにはのけぞってしまう。ざらついたモノクロの画面がたまらなくいい。
 ところで、描かれる3人の家族の人種問題、そう、兄貴の「これはオレの問題だ(my problem)」というところに、弟べニーが「オレ達兄弟の問題だ(
our problem)」と切り返すところ。これは兄のヒューが白人であるトニーに向かって妹に「構うな!」と詰め寄るところで出てくるのだけれど、このシーンだってimprovisationなのか、スパイク・リーが『ジャングル・フィーバー』で悪戦苦闘したことをその30年前に軽くクリアしてしまっている。ここでスパイク・リーが黒くて、ジョン・カサベテスが白いということには関係しない。
「経験にたいしてアプリオリ的に考えられた基準、過去から受け継いだ基準で人間性を見ること、というよりもむしろ判断することに、ほとんどなんの興味も持たないヒップの、精神病的な要素のうちに見いだされるであろう。」(同上)
 この『白い黒人』(『ぼく自身のための広告』所収)とこの『アメリカの影』が同時代であること、ボブ・ディランがニューヨークに出てきたのもこのときだ、を考えてみると、根底にブラックである事実はあっても、『アメリカの影』に描かれた世界ではそれ自体がメイン・テーマとならないいで、より普遍的に語られていると思える。嫌みったらしくない。その後、30年の間のアメリカの繁栄が顕在化させたというのも事実であるが。思うに、登場人物がすべて実名で、さらには兄ヒューはピュアなブラック、弟べニーはハーフ、妹レリアはクォーターのように描かれているのもすごく興味深い。
 そうしたことは抜きにして、《NYインディーズの父》の処女作として観るだけでのけぞってしまうことは保証します。ここまで読んだら、絶対、観ろ!

★★★★★  



2001年12月31日(月)
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