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 ▼ トニー・ガトリフ『モンド』 (96 仏)


 「モンド」ということばの意味をちゃんと言えるか? ちなみにカタカナ語辞典 三省堂では
 [フ  monde<ラ  mundus  ]世界, 世間, 社会.
かの『世界残酷物語』の邦題が『Monde Cane』。ところがボクの中では「モンド・ミュージック」という語があって、まずそっちから、ふーん、そのような映画なのかと思ってたわけ。「モンド」の意味は知らなかったんだよっ(笑)
 案の定、一緒に観ていたBが「モンドってどういう意味」って聞くので、「あれ、知らん? モンドってよう言うやん、なんかちょこっと変わった音とか...」
 ところが、それらしくはないんだよね。いわゆるボクの頭の中にあったモンドらしくない始まり。ちょっと予想してたのと外れてしまってた。おまけにメインであるらしい子どもの名前が「モンド」 をりょ?! 子どもの名前がタイトルになってるんかい、アテが外れたって。ボクのイメージでは奇異な感じでどこか退廃的で...のはずだったのに。

 モンドというどこからやってきたのかわからない子ども、オヴィデュー・バラン、この子の顔がすごくいい。実際にホームレスとなってルーマニアへ強制送還されそうになっていたという。それを監督のトニー・ガトリフ(彼も元はジプシーという)自身が見つけ出してきて、モンドに起用した。
 この少年が、いろんな人に出会っていく。同じホームレスのべガーだったり、「船をもっていない船乗り」だったり、大道芸人だったり、一人暮らしの老婆だったり、これらの人々の顔がまたすごくいい。世界(モンド)のマイノリティの悲哀とかを表している顔ではなくて、現実に世界(モンド)を生きている人の顔。そしてモンドと彼らの間に交わされる笑顔がほんとどうしようもなくいい。モンド自身でなくても彼らの顔を見ているだけで「癒される」というもの。セバスチャン・サルガドという写真家がいるが、彼などと同様の視線で人間を見ているのだ。世界(モンド)を切り取って見せてくれる。マイノリティーを扱うとどうしてもいやらしくなりがちなところを、強調することもなく引っ張り込まれる。それが甘すぎると言われるかもしれないけれど、観る側に身構えさせてしまわないのはちょっと凄すぎる。
 もちろん映像が文句なしに美しい。夕陽シーンなんてのはありきたりかもしれないけれど、夕陽の水平線に綱渡りの綱を重ねてしまわれると思わず息を飲んでしまう。そんなシーンの連続。ベタ褒めなんてのもそうそうないよ(笑)
 文句つけるとしたら、モンドが倒れ、倒れたモンドにクロスフェードして種明かしがされてしまう。ここで、なぁーんだ、そういうことだったのかと、そこまでの不可解なできごとを解き明かされる。そういうふうに納得してしまうのもいい。だけれど、モンドはモンドなままでおいてほしかったとボクは思う。
 ところで、少年の「モンド」の綴りはMONDO カタカナ語辞典ではmonde フランス語の語尾変化なの?誰か教えて


Mondo
監督 脚本 トニー・ガトリフ
撮影 エリック・ギシャール
出演 オヴィデュー・バラン / フィリップ・プティ / ピエレット・フェシェ / シャーラ・アラーム / ジェリー・スミス
★★★★★




2002年01月06日(日)
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