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 ▼ クシシュトフ・キェシロフスキ『トリコロール 赤の愛』 (94 仏,スイス,ポーランド)


 『青』『白』と来ると、一気に行ってしまいます。
 まずはいきなり問題のラストから。ちゃんとチェックしましょう(笑) 『青』のジュリエット・ビノシュとブノワ・レジャン、『白』のジュリー・デルピーとズビグニエフ・ザマホフスキ、あまりにきれいにそろっているので笑ってしまう。ご愛嬌、ご愛嬌。そんなの無理がありすぎだなんて目くじら立てないの(笑) でき過ぎた結末に、肝心のことを見落とすところだった。『青』『白』はそこでのメインのカップル。ところが『赤』では、イレーヌ・ジャコブとジャン・ピエール・ロリ。この二人はこの時点ですれ違いはすれど、全く関わりがない。イレーヌ・ジャコブの相手であるジャン・ルイ・トランティニャンは傍観者でしかない。そのことだけはおさえておかないと。
 この『トリコロール 赤の愛』で映画を撮るのはもうやめると生前キェシロフスキが言っていたとか。そしてこの2年後、55歳で心臓病で急逝してしまった。そしてそのことば通り、この『赤』が遺作になってしまった。若かったから「急逝した」と言うけれど、キェシロフスキ自身は自分の死を予感してたのでないか。
 あのご愛嬌とも、観客サービスとも取れるラストシーンの持つ意味はけっこう大きい。「冗談だろぉ、あのラストはないよねぇ」という声を聞いて、キェシロフスキは、きっとしてやったりと思っているに違いない。これ考えすぎかい? しかし十分にありうる話だろ。キェシロフスキなら絶対にやりかねないって。
 そしてこの『赤』を遺作と決めたときに、もうすでにイレーヌ・ジャコブを使うことは決まっていたはず。ボクはそう決めてかかっとるよ。ほんと、キェシロフスキはイレーヌ・ジャコブにべた惚れだって。ほら、そうすると、ラストシーンの意味、ジャン・ルイ・トランティニャンが何者かというのも見えてくるでしょ。谷崎の『瘋癲老人日記』をキェシロフスキがチェックしてたとしてもおかしくないよな。それも十分ありうる話で、ほら、『愛に関する短いフィルム』・・・、『白』でも
 このトリックさえわかれば(あるいは、そう思い込んでみると)『赤』は簡単。恋愛じゃないですね、まさに赤(=博愛)。そうなんかなぁ。ボク個人的には「博愛」ということばのもつ意味がしっくりこない。恋愛を超越してしまった愛。そういうところに、いい加減ボク自身も年くってしまってるもんだから、ずーんと来てしまう。そんなのもありでしょ。
 
 『赤』では、でき過ぎた偶然が重なりすぎている。そんなこと現実には起こらないだろうということが、ごく当たり前に起こってしまう。『青』『白』『赤』と進むにつれ、その傾向が大きい。
 が、それはそれでいいじゃないか。ラストのラストがあの広告写真と重なるのまでできすぎた演出とは誰も言うまい。そうあってくれるからこそ、キェシロフスキが見せるマジックに酔いしれることができるのだから。蛇足ですが、蛇足でもないか(笑)、『青』のところで書いた婆ちゃん、『白』でも出てきた、そして『赤』でも。なんと『二人のベロニカ』でも出てきてた。おっと、『白』では婆ちゃんじゃなかった。メインアクトに合わせて爺ちゃんなのだった。その老人に、メインアクトが『青』『白』『赤』の順に老人に近づいて行ってる。こうした意図的なドラマの切り抜きは、撮る側も観る側も楽しくて仕方がない。それが映画ってもんじゃないかって思う。
「赤」の色は鮮烈。よくこれだけ揃えられるもんだと。存分に楽しんで下さい。

Trois couleurs: Rouge

監督 クシシュトフ・キェシロフスキ
脚本 クシシュトフ・キェシロフスキ / クシシュトフ・ピェシェビッチ
撮影 ピョートル・ソボシンスキ
美術 クロード・ルノワール
音楽 ズビグニエフ・プレイスネル
出演 イレーヌ・ジャコブ / ジャン・ルイ・トランティニャン / ジャン・ピエール・ロリ
★★★★★




2002年01月09日(水)
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