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 ▼ フリッツ・ラング『メトロポリス』 (27 独)


 そんじょそこらのSFモンは総懺悔しなさい。70年も前にこういうの作られてんのに恥ずかしくないんかい。。。。
 なんてボクが言うても仕方がないのでありますが、元々こういう類いのSMモンは、あ、SMモンは好きです(。_・)ドテッ しょうむないこと言うてんと、SFモンは好きちゃうのね。アホくさくて。リアルに作ろうとすればするほどバカくさいのになって見る気しないのだよ。コンピューター技術のおかげで逆に安易に作られすぎていると思う。
 当然、このフリッツ・ラングの時代、つまり70数年前にはコンピューターのコの字もなく、すべていわゆる原始的な特撮なわけです。それでこのほうがよりリアルに見えるというのが何とも。
 よりリアルに演技をしてもひとつの枠の中から出ていくことはできないのに、現実に有りえない所作が逆にリアルに見せるということがあるでしょ。例えばこの『メトロポリス』の地下工場。誰もこれを見ても現実にある工場だとか、あるいはどこかに本当にある工場でのロケだとか思わないでしょ。あきらかに大掛かりなセットと認識するに決まってる。この地下工場の話を出したついでに先に書いておくと、ここでの役者群の統制のとられ方なんてすごいのだ。まさに機械の一部品であるかを表しているわけで、これが現代のようなセットでは逆に同じように役者達を動かしたところでその効果は出てこないと思う。
 はい、いよいよロボットですね。かのC3POは完璧にこれのパクりですね。パクるんだったらもっとマシなのを作って欲しかった。かの『スターウォーズ』がどうしても好きになれない、いいと思わない理由の一つだね。このロボットは完璧だね。多分、いまのハリウッドでもこれを越えるものは作れない。と、断言しておいてやろう。勢いで書いてしまうと、花輪和一の『ニッポン昔話』のロボットはC3POからのコピーだというのは失礼だね、この『メトロポリス』のコピーだよ。
 フリッツ・ラング(1890-1976)でいつも思うのはブレヒト(1898-1956)。同時代のドイツにあって、演劇と映画で絶対に彼らの間に行き来はあったはずなんだけど、ボクの勉強不足でわからない。フリッツ・ラングの映画というのは非常に演劇っぽい、ブレヒトっぽいなとボクは思う。たとえ交流がなかったとしてもお互いにどこかで通じ合うところがあったのは十分にうかがえる。またさらに群衆がマリアに群がってくるところなんかは暗黒舞踏を想い起こしてしまうね。     
   ※ブレヒトとラングの交流はこの時点でも確実にあったようである。
     http://www.netlaputa.ne.jp/~tomoko/lang.html参照
     ブレヒト『三文オペラ』は1928年

 とにかく先にも書いたことだけど、この『メトロポリス』で、マリア(ブリギッテ・ヘルム)やロトワング(ルドルフ・クライン・ロッゲ)以上に、無名のおびただしい数の役者群の使い方が図抜けている。工場労働者の勤務交代のシーンではナチスを予言するかのよう(この27年ではまだ台頭してきてなかったはず)。ブリギッテ・ヘルムのマリア、偽マリアの二役もすごいんだけど、群衆、それも工場労働者一通りの群衆でなく、子どもたちを含めた労働者の家族たち、またプチブル的群衆、それらの扱いにはほんとにため息が出てしまう。さらに70年前の技術から考えると、映像処理がもう特筆モノ。ボクはその専門じゃないからわかってないけど、重ね合わせとかも十分できたんだね。
 ストーリー的にはいまから見ると物足りないような。価値観の違いが大きいからどうしようもない。ラストにしたって、アレはないよなぁと思えるものだけれど、それがあの時点での社会的にも大団円とみておくべきなんだろうな。ただSF的予知だけに終わっていないところもさすが。
 なんかいっぱいインパクトの強いところがあるなぁ。書き忘れてることがまだまだありそう。とにかく凄い映画があったものです。


Metropolis
監督 ・脚本 フリッツ・ラング
撮影 カール・フロイント
出演 ブリギッテ・ヘルム / アルフレート・アーベル / グスタフ・フレーリッヒ
★★★★★




2002年02月11日(月)
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