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 ▼ セルゲイ・ボドロフ『モスクワ・天使のいない夜』(92 ロ,米)


 冒頭のバイクが正面から走ってくるシーンが超かっこいい。中盤でも同じようなシーンがあるが、そのときは5台だかのバイク。やっぱりバイクは1台だって。
 『イージー・ライダー』に憧れるというボブ(アレクセイ・バラノフ)はサラトフから一人バイクに乗ってやってきた。しかもうっすらと路面を雪が覆う道を。ところでサラトフとはどこなんだ?モスクワから1000kmというけれど。サラトフからやってきたのは、マフィアのボスに雇われて盗まれた金を取り返すため。ボブはその相手を簡単に探しだすけれど、一日待ってくれという、その一日待つ間に、ネット(ナターリャ・ギンコ)と出会う。
 あのぉ、このネットと、それからネットの友達だとか、モスクワのルード・ボーイたちとの間の出来事ってたった一日の間のことだとは思えないんですけど。。。まぁ、いいか、数日であっても。とにかくその間に、都会の、とくにペレストロイカ以後のモスクワの屈折がこの映画のメイン。
 その『イージー・ライダー』が引き合いに出されるけれど、『イージー・ライダー』ではディランを中心としたいわゆるロック・ムーブメントの乗りに支配されていたのに対して、この『モスクワ・天使のいない夜』はどっちかというと、パンクだよねぇ。どう違うかというと絶望感がむちゃくちゃに大きい。『イージー〜』では、オレたち自由に生きていくんだぜいぃぃっ!(だけど殺されてしまう)だったのに対して、『モスクワ〜』では最初から勝負はついてしまってるじゃないか、じゃ、そこでどう生きていけばいいんだい?っていう意識がすごく支配的なのだ。それは20年から30年という時の経緯、世界情勢の変化、能天気アメリカと屈折ロシアの風土の差、その他もろもろが絡み合ってるのは確かなこと。だからどっちがいいのかなんて比較できるわけじゃない。
 とにかく重苦しい絶望感が、ボブの一人語りの中にも表れている。そんな絶望感の中にあっても、とにかくどこかに進んでいかなければならない。ヒーローはどこかにいるはずだったのに、ヒーローさえ見当たらない。やっと見つけたヒーロー(=ヒロイン=天使)ですら、彼女自身のヒーローを求めて、南の地へ去ってしまう。現実の中で非情に生きていこうとすることと、安住の地を求めようとするロマンチシズム(センチメンタリズムではない)との間の揺らぎ。あのときひとこと言っていればよかった。。。。
 それらをボドロフ監督が自らモスクワの街でスカウトしてきたルード・ボーイたち―主役の二人はどうなんだか知らないけど、けっこうそれに近い―を使って描き上げた。それが映画としていいのかどうか以前に鬱屈したエネルギーのようなものを感じさせられてしまうのでした。
「イワン雷帝の酒蔵」というネットの隠れ家(?)、いいね。
Ya khotela uvidet angelov (I Wanted to See Angels)
監督 セルゲイ・ボドロフ
脚本 セルゲイ・ボドロフ / キャロリン・キャヴァレーロ
撮影 アレクセイ・ロジオーノフ / セルゲイ・タラスキン / フョードル・アラヌィシェフ / ウラジーミル・イリイン
音楽 モンゴル・シューダン
出演 アレクセイ・バラノフ / ナターリャ・ギンコ / リア・アヘジャーコワ / アレクセイ・ジャルコフ / エフゲーニー・ピヴォヴァーロフ
★★★★



2002年04月08日(月)
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