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 ▼ フリッツ・ラング『飾り窓の女』 (44 米)


 この『飾り窓の女』という邦題もなんか罪作りなタイトルだわ。「飾り窓の女」って言うと、ボクの認識では風俗の女なんだけど。つまり、アムステルダムにある有名な風俗街で、そこでは飾り窓からおねえちゃんが顔見せしてる。そのおねえちゃんをさして「飾り窓の女」。恥ずかしながら、この映画もてっきりそうだと思ってた。ところがどっこいタイトルに『The Woman in the Window』と出てきたところで、あら?なんかちがうなって思ったら、やっぱりアムステルダムの「飾り窓」とは無縁だった。ほんと単純に「窓の中の女」なんだから、どうしてただの窓というか、ショーウィンドーなのに飾り窓というのだろ。たしかにショーウィンドーは飾り窓に違いないけど。どっちが先なんだろう。この映画の邦題を『飾り窓の女』としたのと、アムステルダムのおねえちゃんを「飾り窓の女」と呼ぶようになったのは。
 前置きはさておいて、フリッツ・ラングというと、どうしても『M』や『メトロポリス』といった表現主義というのが先に立つんだけれど、これはヒチコックばりのサスペンス。「これ、ヒチコックだよ」なんて見せられたら、ボクなんてころっと騙されてしまいます。まさにはらはらどきどきの心理戦なんだから。
 大学教授ワンレー(エドワード・G・ロビンソン)が「飾り窓」に飾られた一枚の絵に見入っているとき、その絵に重なって、そのモデルの女アリス(ジョーン・ベネット)が現れる。彼女と知りあって、正当防衛とも言える殺人を犯してしまう。この殺人の犯し方というのもすごくヒチコックっぽいんよね、いわゆる「まきこまれ」に近い。その犯行を隠蔽するために死体を遺棄、さらにそれがあばかれていく過程、さらには、恐喝男(ダン・デュリエ)との攻防といい、ほんとヒチコックそのものちゃうんと思わせる。あんまりここでヒチコックだ、ヒチコックだと言うと、ヒチコックの通からも、ラングの通からも(どっちもそれなりに多いっしょ。。。。(^_^ゞ)、顰蹙かいそうだなぁ。
 でね、をーそうそう、と思う文献を見つけたので紹介しておくと
フリッツ・ラングのRKO(Radio Keith Orheum)作品『飾り窓の女』におけるエドワード・G・ロビンソンの翳のある演技と,スティーヴン・スピルバーグの『ジュラシック・パーク』で恐竜たちの動きを表象しているコンピュータ・グラフィックスとで,どちらの方を「現実的」と感じるかという感性的な差異の問題が問われることになるのだ.ちょうど1世紀の半分の時間が『飾り窓の女』(1944年)と『ジュラシック・パーク』(1993年)とを隔てているが,さて,この半世紀の時間の流れのうちに決定的な歴史の断層を見るべきか否か.

 ここでは、どちらかというと、電子的レアリスム、CGについての論考なんだけれど、この『飾り窓の女』がその引きあいに出されているのが興味深い。ボク自身はこうした緻密な論考などできる人ではないです。それでも納得させられるところ多々ありなわけで、「ロビンソンの翳のある演技」というのにはまんまとはめられたね。それとどこか無性的でありながら女くさすぎるジョーン・ベネットの演技に惹きこまれてしまってた。
 思うに、その最初の窓に映ったジョーン・ベネットと額縁の中の女の絵との重なり合い、またアリスのアパートの玄関のガラスの反射を取り込んだ奥行きの深さなど、全体に遠近感がすごいのね。この遠近感が吸い込んで行くといってしまってもいいような。ラストにはどんでん返しも用意されていて、「生きていてくれてよかった」ってね。
 でもやっぱりラングは表現主義っぽいほうがボクは好きなんだけど。。。

※ 上のポスターはカラーだけど、映画はモノクロ
The Woman in the Window
監督 フリッツ・ラング
脚本 ナナリー・ジョンソン
原作 J・H・ウォーリス
撮影 ミルトン・クラスナー
音楽 アーサー・ラング
出演 エドワード・G・ロビンソン / ジョーン・ベネット / ダン・デュリエ / レイモンド・マッシー / エドモンド・プレオン
★★★★☆




2002年04月26日(金)
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