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■ ▼ フランク・バン・パッセル『小便小僧の恋物語』 (95 ベルギー)
悪くないんだよ。でも好きじゃない。 ときに、出来すぎた、作りすぎた話っていうのは、見ているうちにだんだんいらいらしてきて、ついにはうんざりしてくるのだ。確かにね、市電の運転手ジャンヌ(アンチュウ・ドゥ・ブック)と、市電のミラー越しに坊主頭の孤児ハリー(フランク・ヴェルクライセン)が出会うところなどイケテル。ブリュッセルの街(だよな)をことこと走る市電に期待してしまうっていうもの。ハリーが偶然入ったアパルトマンの一つ下の6階に、これまた偶然にもジャンヌが住んでいた。それはそれでよしとしよう。そういう偶然が重なり合わないかぎり、話は始まらない。 なんだか、雲行きが怪しくなり始めたのは、そのアパートの女主人ドゥニーズ(アン・ペーテルセン)の追想から。彼女は戦争で爆死した恋人への追想から50年間、抜け出せずにいる。それまでにも画面にちらちらと映しだされていた破片は、その恋人を死に追いやった破片だったのだ。同じように、ハリーは幸せな家族を事故でなくしてしまったというトラウマを抱えて生きてきた。このあたりから、話が急につまらなってきた。少なくともボクはあの手の不幸話は嫌い。 「愛している」という一言がトラウマなら、どうしてそれ以上に愛して行くことができないのか。ドゥニーズが「50年の喪が明けた」と飛びだして行くのに、若いハリーが、小便小僧であった自分にこだわってしまっているのか。若い、と書いたけれど、計算してみると28なんだね。「10までは幸せな家族だった」「18年間、孤児院に入ってた」 をい、28になるまで置いといてくれる孤児院ってるのかい。そして「えーっと、二人っきりで公園に行って星を見たいな」って、可愛いとかの騒ぎじゃなくてグロテスクなものを感じてしまうよ。いい加減、精神的に自立しろよ。 で、ラストがアレですか。納得できねぇぇ。 18歳じゃないんだから。ハリーが18歳で10歳年上のジャンヌに惚れたってんなら、まだなんとかね。美しいままとっておくのもいいけれど、それもいい加減にしてほしいと思うのはボクだけだろか。 話の中心になるハリー、ジャンヌ、ドゥニーズの三人が三者三様にすごく魅力的なのに、をっとハリーをけしかける皿洗いの二人もいい味付けだっただけに、あまりに美しく美しく作られすぎているのがたまらなくイヤだ。
Manneken Pis 監督 フランク・バン・パッセル 脚本 クリストフ・ディリックス 撮影 ヤン・バンカイリ 美術 ヨハン・バン・エッシェ 出演 フランク・ベルクライセン / アンチュウ・ドゥ・ブック / アン・ペーテルセン / ビム・オプブルック / スタニー・クレッツ
★★☆
2002年05月16日(木)
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