nikki-site 雑文速報
 あいうえお順INDEX 



 ▼ ガス・バン・サント『小説家を見つけたら』 (2000 英,米)


 脚本のマイク・リッチは「偉大な作家が誰かの力を借りて、孤立という壁を破り、再び世界に足を踏み入れる姿を描いたら、きっと面白い話になるだろうと思ってね。それに、その作家を外の世界に連れ出すのが、やはり作家の才能に恵まれた若い人物、例えばティーンエイジャーだったなら、もっと話が面白くなるのでは、と思いついたんだ。」と言う。なるほどこの着想はおもしろいし、確かにそのねらい通りに観る側もはまっていく。が、老小説家ウィリアム・フォレスター(ショーン・コネリー)と、文学少年ジャマール・ウォレス(ロブ・ブラウン)が創り出す世界に対してクローフォード教授(F・マーリー・エイブラハム)に代表される外の世界は陳腐すぎやしないか。なにもそのような世界へ、フォレスター自らが開放されていく必要などなかったんじゃないか。だからラストでフォレスターが車がひしめく真ん中を自転車で走っていくシーンは逆に白々しく感じてしまう。このシーン自体は好きなんだけどね。
 《ざっと見ればアメリカンな典型的なホームを思わせる保守性が「小説家を見つけたら」にはある。》(小説家を見つけたら ジェームス・W・エリソン - 書評日誌) [脚本のマイク・リッチは元ニュース・キャスターで、ウィリアム・フォレスターを取材したところから、最初に引いたような着想で脚本を書いたというから、ジェームス・W・エリソンによるものは原作ではないと思うんだが] 映画自体は退屈でもなくてむしろおもしろかったんだけれど、つまらなくさせてるのは、《アメリカンな典型的なホームを思わせる保守性》 ジャマールに視点をおいてみれば(ジャマールの視点でない)、ありがちなサクセスストーリーにすぎないのだよ。「黒人は文学などに入り込まずともバスケットボールだけしておけばよい」などという言を否定したところで、《とある権威に認められることで終点を得るところはアメリカの持つ権力をアメリカ出身者に委譲する最近の法律をも思わせる。》(同) だからクローフォード教授を描き込みすぎてるんだよね。ラストの作文コンテストなんて失笑もんだよ。『青い山脈』(古っ!)を思い起こしてしまいましたよー(OO;) その《とある権威》に上がってくるのを阻害するもの、これを打破すること、しかもクローフォード教授ごとき小ボスにだ、そんなことでのサクセスストーリーでは、作家の孤立という壁ってなんだったんだ。まぁそれを言い出すと、アメリカ映画は成り立たないか。
 ショーン・コネリーはねぇ、年を取れば取るほどにかっこよくなってすごく好きなんだけれど、ドアの窓からちらと覗いたところなんて凄みがあったのに、いざ姿を見せるようになってから急速に怪しさがなくなっていくんだよなぁ。それはそれでよくて、そうでなかったら話成り立たないじゃない。若きロブ・ブラウンとのからみ、とくにタイプライターを叩くのを教えるにこやかさなんかとてもいい。ひょっとしてボクがこの映画で一番好きなシーンちゃうかなぁ。それとか、自転車のハンドルじゃなくてサドルを持って押して歩くところとかね。ジャマールの兄貴役で共演したバスタ・ライムス―個人的にはもっともっともっとバスタ・ライムスをフィーチャーしてほし。だってかっくいいいいいんだもん(^_^)―によると「ショーン・コネリーは神様みたいなもの。台詞のないシーンでさえすごいエネルギーを放っているから、つい気になって彼に目が行ってしまうんだ」というふうに、ショーン・コネリーが映画に出てるというだけで場をもたせてしまう凄さがあるね。上に書いたラストの自転車のシーンもショーン・コネリーでなかったらほんとイヤだな。ETじゃないんだから(笑)

Finding Forrester
監督 ガス・バン・サント
脚本 マイク・リッチ
撮影 ハリス・サビデス
出演 ショーン・コネリー / ロブ・ブラウン / F・マーリー・エイブラハム / バスタ・ライムス / マイケル・ピット / アンナ・パキン / マイケル・ヌーリー
★★★☆




2002年06月09日(日)
 ≪   ≫   NEW   INDEX   アイウエオ順INDEX   MAIL   HOME 


エンピツ投票ボタン↑
My追加