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 ▼ ヴィム・ヴェンダース『リスボン物語』 (1995 独, ポルトガル)


 『さすらい』、『ことの次第』ともに見てないほどに、ヴェンダースに対してとても不熱心なために、何だかんだと言える筋合いじゃないってこと、まずごめんなさいしておきます。
 というのは、失踪したフリードリッヒ監督(パトリック・ボーショー)は『ことの次第』('82)のラストで銃殺されたはずのが復活してきて、『さすらい』などの言うてみれば要約だっていうじゃない。ならば、少なくともこの二つを抜きにして『リスボン物語』を語るなどとおこがましいので、きょうはこれでおしまい。さいならぁ〜(*^^)/~~~~~~~~~~゛″ をい(+_+)
 
 
 でもね、見る側の自由度というのは認められていいわけで、『さすらい』も『ことの次第』も知らぁ〜んって人間が少なくともボク一人はおるわけです。そこで、「はい、古くからボクの映画を見てくれてる人はわかってくれちゃってるよねぇ」と突き放されると困るわけだよねぇ。少なくとも、見る前にそのこと、つまりフリードリッヒが銃殺されたはずということがあらかじめ知っていたら、もっと見方というのが変わったなと思うのです。
 そして反対に、『さすらい』、『ことの次第』から切り離された単独の見方という自由度もあるわけで、そうした場合に、まぁまぁおもしろかったナと、ただ、『ベルリン〜』にしてもそうだったんだけど、ちょいと小賢しさが鼻につく。《あらゆる場所にいるあらゆる人間になりたい》なんて壁の落書きに語らせてみせてもね、ふーんなるほどとは思っても、そのあざとさに説得力がないんだよ。
 確かに録音技師フィリップ・ウィンター(リューディガー・フォーグラー)がリスボンの街の中で拾い集めてくる音なんてのはすごくおもしろいしね、映画-ビデオという同じ映像を扱うメディアで、「ビデオなんか糞くらえ!」というのは、ほんと映画バカ一代=ヴェンダースならではのセリフだねって思わず微笑んでしまったよ。
 話は横にそれるけれど、たまたまきょう読んでいた赤坂真理の『ヴォイセズ』に「人は耳の穴を物理的に塞がない限り、入ってくるものをただ聞くと思っていた。実際にはさまざまに取捨選択をしていたことを、それができなくなるまで知らなかった」という一節があったんだけど、映画に鏤められた音というのは何気ないようで録音技師によって取捨選択され、創りだされてんだというのがわかったよ。
 うん、そういう意味でおもしろかったよ。だけど、フィリップが、フリードリッヒが残していったフィルムを頼りに、その痕跡をたどっていくというのはいいんだけど、なんで『キートンのカメラマン』なんだか、手回しカメラである必要性の説得力に欠ける、いやむしろヴェンダース自身が失踪していたほうがずっとずっと説得力がある。《映画生誕100年》などというフィルターをかぶせる必要なんかなかったんじゃないか。だからあの落ちのつけかたがねぇ、ずばり好きじゃない。おめでたさを感じてしまうって。


Lisbon Story
製作 ウルリッヒ・フェルスベルク / パウロ・ブランコ
監督・脚本 ヴィム・ヴェンダース
撮影 リサ・リンツラー
音楽 マドレデウス / ユルゲン・クニーパー
出演 リューディガー・フォーグラー / パトリック・ボーショー / テレーザ・サルゲイロ / ペドロ・アイレス・マガリャンエス / ロドリーゴ・レアン / ジョゼ・ペイショート / バスコ・セケイラ / リカルド・コラレス / ジョエル・フェレイラ
★★★☆



2002年07月14日(日)
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