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■ ▼ イアン・セラー『プラハ』(1991 英・仏)
冒頭のシーンだけいいです。をっ、何、何、何始めてくれんの?と期待してなかった展開にちょっとわくわく。これって、そういう類の映画だったの? アレクサンダー(アラン・カミング)が、家族の映った幻のフィルムを探すためにプラハにやって来る。そのプラハへの車中が冒頭のシーンなんだけど、その同じコンパートメントに乗りあわせたのが、エレナ(サンドリーヌ・ボネール)とヨゼフ(ブルーノ・ガンツ) 。そのフィルムを資料としてもっている図書館にアレクサンダーが行ってみたところ、その館長が偶然にもヨゼフで、その秘書がエレナ、さらに二人がいたしてる真っ最中だったと、できすぎた設定。ま、そういう設定は許しておこう。その資料を探すのに、エレナとアレクサンダーがつきあううちに、三角関係に陥る。ま、その無理な設定も許してやろう。 さてと、ここで、失った家族、その記録を手に入れることで、アレクサンダーがアイデンティティーを得ようとすること。さらにエラナには母親がいないということで、アレクサンダーと同様にアイデンティティの欠落というテーマを持たせてるのだけれど、これがさっぱり伝わってこない。アレクサンダーと避妊しないで、妊娠することを企んだセックスをして、アレクサンダーとの子どもを作ることがエレナのアイデンティティの回復なんだとでも言いたいんだろうか。じゃあ、ヨセフはいったい何だったのか、ベルリンの天使のままかい(苦笑) じゃあ、エレナは仕立屋の女房のままじゃんか(;゜゜) なんかなぁ、どれをとっても中途半端なままで不完全燃焼とまでもいかないんだけどねぇ。なんで幻のフィルムになったとかということに関してもねぇ。いろいろとテーマを抱えすぎて、何ひとつすっきりしないまま。せっかく手に入れたフィルムを犬が引っ張って行って、そこに投げ捨てられたタバコの火が着くことで燃え尽きてしまう。そんなことでアレクサンダーが追い求めていたアイデンティティが幻想にすぎないなんてのは納得できないね。フェチならフェチに徹すればいいのに。どんどこどんどこ萎んでいく、最初の思わせぶりなシーンは何だったの? ただ救いといえばプラハが美しく撮られていることくらい。アラン・カミングのようなタイプ、好きちゃうしね。
Prague
監督・脚本 イアン・セラー 撮影 ダリウス・コーンジィ 美術 イジー・マトリン 出演 アラン・カミング / サンドリーヌ・ボネール / ブルーノ・ガンツ
★★
2002年08月16日(金)
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