nikki-site 雑文速報
 あいうえお順INDEX 



 ▼ 侯孝賢『戯夢人生』(1993 台湾)


 同じ侯孝賢監督の『悲情城市』『恋恋風塵』で渋々の爺ちゃん、李天禄(リー・ティエンルー)、彼が日清戦争直後の1910年に生れてから、戦争が終結して台湾が日本から独立するまでの半生をごくごく淡々と描いた映画。この李天禄、実は台湾の民間芸能=布袋戯(ポテヒ)の第一人者でもある。なんでも人間国宝級だとか。詳しくはここ

 固定された長回し、それもむちゃくちゃ長いのだ、の映像が印象的。ひとつの額縁の中を人間が動いていく。ん〜と、李天禄の記憶の断片の枠とでもいうのか、考えてみれば、自分の半生を振り返ったときに、いくつかのステージが思い起こされてきて、その中に感情なり風景なりが封じ込められることってある。それをそのままに描いたからこそ、それ以上にリアリティーを生みだしている。
 あくまでも李天禄その人の個人史に徹したこと。当然、個人史であっても、この映画で描かれた40年ほどの間には、日本による台湾の植民地化であるとか、その後の日中戦争であるとか、いわゆる歴史が必要以上に描かれていないこと。だから逆にその歴史の重みを感じさせる。
 それと、これはこの映画を支えているもっとも大きな要因、李天禄自身が語ることで時間の流れを構成していくこと。これがさらにリアリティーを生みだしている。あと、これはわからないけれど、布袋戯によって語らせる部分は、これはかつてあった布袋戯を再現したのでなく、この物語に合わせて再構成されたものじゃないのかな。
 『悲情城市』でもひどく印象的だったのが、そのラストで、李天禄が何事も起きなかったように、同じように黙々と食事をするシーンがあった。この『戯夢人生』でも食事シーンのなんと多いことか。台湾(あるいは中国)では生活、家族、その中心に食事があるのじゃないか、食事という生活で、すべての生活が動いていく。外的な歴史以上に、内的な歴史=個人史が優先していくのでないか。それが近代、またそれ以前から、(ちゃんと勉強してるわけないから迂闊なことは言えないけれど)歴史に翻弄されながらも民衆レベルの根強さがあるのじゃないか。それが4000年の歴史を支えてきたのかもしれない。

Hsimeng jensheng
監督 ホウ・シャオシエン
脚本 ウー・ニエンジェン / チュー・ティエンウェン
撮影 リー・ピンビン
美術 ジャン・ホン / ツァイ・ジャオイー / ルー・ミンジン / ホー・シエンクー
音楽 チェン・ミンジャン / ジャン・ホンター
出演 リー・ティエンルー / リン・チャン / ヤン・ソーイン
★★★★



↑投票ボタン



2002年09月21日(土)
 ≪   ≫   NEW   INDEX   アイウエオ順INDEX   MAIL   HOME 


エンピツ投票ボタン↑
My追加