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 ▼ パトリス・ルコント『髪結いの亭主』(1990 仏)


 これ2回目なんだよねぇ。意外と覚えてるもんだ。まぁそれくらい、髪結いの亭主=アントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)が印象的。とくにもう何も言うことはないほどのあの踊り。
 つい昨晩の『マレーナ』と比べてしまうんだけれど、どっちがエロ臭いかというと、それはもう答えが決まっているわけです。だからなおさらのことモニカ・ベルッチが気の毒に思えるんだけど、そっちのことはもうなかったことにして、やっぱり女優をどう見せるかということにかけては、ルコントは群を抜いてるなあと思えるわけ。
 たしかに女の生き方として、マレーナはそれでもなお生き抜いて行ったというたくましさを見せ、一方マチルド(アンナ・ガリエナ)のほうは何も死ぬことはないだろうという死に方をしてしまう・・・・あ、もう比べないと言いながら、比べてしまってる(^_^ゞ どちらが正解なのだという答えは、この場合、ないと思うのね。簡単な話で、例えば離婚したから正解なのか、離婚しなかったから正解なのか、それは他人がとやかく言える筋のもんじゃないのと同じ。ボクはそんなことはどうでもいいと思う。生き抜いたから、愛をそのまま留め置くために死を選ぶか。ボクは死んだりなんぞしませんけどね(苦笑)
 どちらにしろ、マレーナの生き方にしても、マチルドの死に方にしろ、ベルトリッチ、それとルコントという男の身勝手な選択が出てるなぁと思う。アニエス・バルダが『幸福』で男に対して突きつけてきた答えになんかなってないやね。ルコントの場合は、マチルドの師匠というか、老髪結い爺さんが自分で門を閉めるなどというひとつの逃げ道を作ってるのが、狡いといえば狡いし、うまく伏線張りやがったなと思ったけどね。
 それから、やっぱり『マレーナ』との比較になってしまうんだが、子どもね、思春期の性ということに関しても、これもルコントのほうが断トツに巧い。ベルトリッチはそのことに関して照れが入っとるよ。子ども性善説の上に成り立っているのが始末が悪い。それに対して、子ども(ヘンリー・ホッキング)を用いて時間軸を巧みに動かしてる。それと散髪での子どもなりの性体験というのはすごくよくわかる。その性体験をひきずって大人になった、このほうがずっとすっきりするでしょ。
 嫁さんに張り倒される亭主や、哲学をぶっていく二人組や、サイドの固め方もすっきりしてるでしょ。もちろん映像としてもずっとずっとルコントのほうがボクは好きで、ほとんどがマチルドの美容室から動かないのにね。光の使い方がとにかくいいやんね。
 マチルドが目の前にする水の流れを、橋の上の女(バネッサ・パラディ)が目の前にするだろう水の流れと考えればそれでいいんじゃない。

LE MARI DE LA COIFFEUSE
製作 ティエリー・ド・ガネ
監督 パトリス・ルコント
脚本 クロード・クロッツ
パトリス・ルコント
撮影 エドゥアルド・セラ
美術 イヴァン・モシオン
編集 ジョエル・アッシュ
音楽 マイケル・ナイマン
出演 ジャン・ロシュフォール / アンナ・ガリエナ / ロラン・ベルタン / フィリップ・クレヴノ / ジャック・マトゥ / ヘンリー・ホッキング / ティッキー・オルガド / アンヌ・マリー・ピザニ
★★★★☆



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2002年11月04日(月)
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