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 ▼ ヴィットリオ・デ・シーカ『子供たちは見ている』 (1942 伊)


 ヴィットリオ・デ・シーカ監督がチェザーレ・ザヴァッティーニと組んだ第1作。これ以降、デ・シーカ監督の『自転車泥棒』、『終着駅』、『昨日・今日・明日』、『ひまわり』までずっとこのコンビで映画をつくり続けてた。
 ここから『靴みがき』を経て『自転車泥棒』と続くイタリア・ネオレアリズモの出発点となったというのだが、はたとここで考え込んだ。イタリア・ネオレアリズモっていったい何なのだ? 敗戦直後のイタリア庶民の生活を飾ることなく表現した...うんぬんかんぬん....じゃあ、その手法というのは、どうなんじゃいいい、と....知るかぁ、と、いとも簡単に投げ出しておく(苦笑)
 この『子供たち〜』でも『自転車泥棒』と同じように(時間的には逆だけど、有名度から)、素人同然の役者を使ってるのね。そこんとこは手許にさっぱり資料なんてもってないから違うかもしれないけれど、調べてみると芸歴がまったくないのばかっかり。こういう素人を起用するというのも一種ネオレアリズモの手らしい。だからなのか、映画に向かう姿勢は監督と素人役者の間でかなり差があって、現場ではほとんどすべてにわたって監督が王様であったらしい。
 そんなことはともかくとして、アンドレア(エミリオ・チゴリ)とニーナ(イザ・ポーラ)の間にプリコ(ルチアノ・デ・アンプロジオ)という小さい子どもがいた。典型的な中流家族ですね。ところがニーナはロベルト(アンドリアーノ・リモルディ)とできちゃって駆け落ち。父と子ども二人で困ってしまう。と、あら、『自転車泥棒』のパターンだ。プリコのめんどうを見てもらおうと、逃げた女房の姉の元に行ってみたり、実家に預けてみたりするけどどうもうまくいかない。そうこうしてるうちに、逃げた女房が舞い戻ってくる。プリコのために、父アンドレアは懸命に元の家族を取り戻そうとするが、またしてもニーナはロベルトとよりを戻してどろんぱ。どうにもならなくなって、プリコを修道院だかに預けてアンドレア自身は自殺。あらあら、こしてみると、ほんと『自転車泥棒』のプロトタイプだな。
 『自転車泥棒』にくらべれば、階層的にはちょっとは上かもしれないが、視座として父と子を中心に描かれて、母親はどっちもある意味、能天気(^◇^;) 女の立場から見てなどというのはほとんどと言っていいくらい描かれてないね。その分、子どもを描くことで、よりリアルに見せていく。一歩間違えれば、お涙頂戴になりかねない。たぶんね、これが母と子のセットで、子どもをリアルに描くとどうにもならないんだろう。
 プリコが実家に預けられているときに、田舎の近所の子どもたちと一緒に芝草の山によじ登って滑り下りるなんてシーンはとても印象的。それとか夜中に起きだして、水たまりを踏むプリコの素足ね、ネオレアリズモという枠にとらわれず、すごくリアルなんだよなぁ。
 ラストの母親の前でのプリコというのは、が『自転車泥棒』で父の前で泣いて見せたブルーノの対極になるんだな、きっと。
 
I Bambini Ci Guardano
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本 チェザーレ・ザヴァッティーニ / ヴィットリオ・デ・シーカ / チェザレー・ジューリナ・ヴィオラ / アドルフォ・フランチ / マルゲリータ・マリチオーネ / ゲラルド・ゲラルディ
音楽 レンツォ・ロッセリーニ
撮影 ジュゼッペ・カラッチョロ
出演: イザ・ポーラ / ルチアノ・デ・アンプロジオ / エミリオ・チゴリ / アンドリアーノ・リモルディ / ディナ・ペルベリーニ / イオーネ・フリガリオ / ジョヴァンナ・ラッリ
★★★★



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2003年01月15日(水)
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