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 ▼ ミケランジェロ・アントニオーニ『太陽はひとりぼっち』 (1962 伊, 仏)


 これ、多分、いや、きっと一般受けしないでしょうねぇぇ。ボクはむちゃんこ好きなんだけどねぇ。
 よく語られるのはラスト15分で、それは後回しにしといて、最初の15分。これはもうたまりません。モニカ・ヴィッティという女優は極々ボク的にタイプなわけで、それはそれとして、この15分だか20分の、セリフを極力に削り取って、モニカ・ヴィッティとフランシスコ・ラバル、この二人だけの動きと、もうそれはそれはたまらないカット割。これだけでボクはもう★5つなんだよなぁ。なんかあらゆる映像のサンプルがここにあるという感じなんだけどね。凄絶な別れ話のひとつもやったことのないお子ちゃまにはついてこれんか(^_^ゞ この頭のシーンは何度も何度も見直しては、その度に涙を流しておりまするのだよ。。。。。というのはウソですが、涙なしには語れないネ。いや、ほんまに。全部、見てくれとは言わない。どうせ大半の人間は退屈して、わけわかんねぇ〜、だりぃ〜と言うんだろうから。だけど、これだけ完璧なカットの連続を見ないで死ねるかい・・・・ちと、オーバーか。
 ん〜と、このシーンに入るまでの、つまりは最初のタイトルなんだけどね、ここは映像というのはなくて、《Monica Vitti》《Alain Delon》《Michelangelo Antonioni》と文字が流れてるだけだけど、このバックで、♪〜ちゃ−らららららららぁぁん・・・(これではわからんか(^_^ゞ) ボクのような世代にはザ・ピーナッツが ♪〜あすもあさってもしあさっても〜 と歌ってたのですっかり耳についてしまってるコレット・テンピア楽団(?)のテーマソングが流れて、それがフェイドアウトすると、不穏な音に変わって、リカルドとビットリアの別れ話が始まっていくという音使いもたまらんのよなぁ。
 大きく分けて、中盤の株式取引所で、ピエロ(アラン・ドロン)にモニカ・ヴィッティが出会う、ここでそれまでの静逸から一転喧騒に変わってしまう。全体の流れとしてもすごくおもしろいんだけどなぁ。あ、この『太陽はひとりぼっち』、それから『太陽がいっぱい』、どちらもアラン・ドロンだけど、『〜いっぱい』はアラン・ドロンの映画だろうけど、『〜ひとりぼっち』はモニカ・ヴィッティの映画だよ。お間違えなくね。
 で、この当時、アントニオーニとモニカ・ヴィッティは公然の仲で、よくある監督と主演女優のできちゃった関係なのであるますが、知っての通りイタリアというのはカソリックの国で法的に離婚は認められてなかったのね。だから『情事』、『赤い砂漠』なんかに、どっと二人で入れ込んでたフシもなきにしにあらずなのであるます。だから言ってみればアラン・ドロンなんてのはこの『〜ひとりぼっち』ではその名のとおりのピエロなんですねぇ。この中盤のぎゃんぎゃん騒がしい株式取引所での大衆というのもボクは結構好きなのね。大衆のベクトルがあっちゃ向き、こっちゃ向きしておって、そうしてブルジョアジーを小馬鹿にしてて、やっとる、やっとるとにやけてるわけなんです。
 で、とかくなんだかんだって評される後半部分。ここはずばり記号論だね。どうしようもない終末感が漂って、もちろん男と女の関係にもなんらの希望も見いだせないで、ただけたけた笑っている。をーこわい、こわい。わが身に照射してみるにつけ、ますますこわくて(-。-;) もう一度、♪〜ちゃ−らららららららぁぁん・・・が小さく流れてくるところなんか泣きだしてしまいそ。誰がハリウッド的ハッピーエンドなんて信じられるかいと固く思い込んでいるボクって不幸なんでしょうか。


L' ECLISSE
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ / トニーノ・グエッラ / エリオ・バルトリーニ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽 ジョヴァンニ・フスコ 
出演 モニカ・ヴィッティ / アラン・ドロン / フランシスコ・ラバル / リーラ・ブリニョーニ
★★★★★



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2003年01月29日(水)
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