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 大島渚『愛の亡霊』(1978 日, 仏)


 これは見落としてた。『愛のコリーダ』でどうでもよくなったのか、自分的にこういう面において一番へこんでたときでもあったから。
 タイトル通りにまさに亡霊譚で、おせき(吉行和子)は26歳年下の豊次(藤竜也)と不倫関係に陥った。揚げ句の果てに夫=儀三郎(田村高廣)を絞殺。古井戸に投げ込んだところから、儀三郎の亡霊が現れて、二人を追いつめる。と、筋書き書いてしまえば、単純な怪談物。
 『愛のコリーダ』のれびゅにも書いたけれど、『愛のコリーダ』では性描写が話題になりすぎて、ボクも目がそっちのほうにばかり行って、原形をとどめぬカット版だったせいもあって、なんじゃらホイと気が抜けて、続くこの『愛の亡霊』はパスしてしまってた。『愛のコリーダ』を見直してみて、ありゃ、これは大島による日本の様式美の追及だ、なんて、今さらながらに思ったのだけれど。
 あのぉー、この『愛の亡霊』は性描写たって、『愛のコリーダ』のようなことないです。『愛のコリーダ』〜『愛の亡霊』の流れで、アフォなボクはわざわざアメリカのAMAZONからアメリカ版仕入れたのに、たぶん日本版でも『愛のコリーダ』みたいなことないでしょ。どこだったか、「ホラーファンにもエロ映画ファンも満足」なんて書いてたけど、エロ映画ファンは満足しませんって(笑)
 よく考えてみれば、吉行和子だもん、なんぼ大島渚でもキワモノにはできんでしょ。『愛のコリーダ』で極力キワモノに近づけたのは大島の策略ちゃうかと。その狙いは、確かにセックス描写というのもあるけれど、日本の様式美にこだわってのこと。となると、この『愛の亡霊』も表面的には性愛ものであるけれど、狙いは日本の土着性、社会共同性、そしてどろどろとした情念(その当時、「情念」ってことばは流行りましたネ)の表出にあったのは確か。そういう意味では、ナニも見えないけれど、どろどろしたエロくささは充満している。さすが吉行和子だワ。
 だから『愛のコリーダ』のどこかあっけらかんとしたおもむきに対して、『愛の亡霊』は露光を抑えたカメラに支配されてずしんと重い、重い。『愛のコリーダ』が光を表現しようとしたなら、『愛の亡霊』は影を。もっと日本的に言うならば、『愛のコリーダ』はハレで、『愛の亡霊』はケの映画だと。むははは、むちゃ評論家っぽく、蘊蓄たらたらっしょ(笑)
 最近、流行のホラーもんとかはさっぱり興味がなくて、だって怨念なんて感じられんもん。誰にでも取り憑くサダコ....。そういうホラーあほくさというヘソ曲がりなボクでも、結構はらはらしながら見れた。それはやっぱり、吉行和、藤竜也、田村高廣、この3人そろえたら何だってできて当たり前ちゃうやろか。スモーク焚きすぎですけどね...
 

 
L'EMPIRE DE LA PASSION
製作 アナトール・ドーマン / 若槻繁
監督・脚本 大島渚
原作 中村糸子
撮影 宮島義勇
音楽 武満徹
美術 戸田重昌
出演 吉行和子 / 藤竜也 / 田村高廣 / 長谷川真砂美 / 杉浦孝昭 / 川谷拓三 / 小山明子 / 河原崎建三 / 殿山泰司
★★★★



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2003年04月05日(土)
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