nikki-site 雑文速報
 あいうえお順INDEX 



 篠田正浩『乾いた湖』(1960 日)


 よくもこんな危ない映画を松竹が撮らせたというのが不思議。どう危ないかというと、もろ60年安保もので、しかも全学連から離れて爆弾闘争へ走ろうとする。こんなのが松竹が撮らせて、きっちりと松竹の封切館にかかったというのはちょっと信じられないんですが。ところがこれが結構ヒットして、その後、篠田、寺山に仕事がおしよせてきたってんだから。ちなみに篠田はこれが監督2作目。寺山は3作目のシナリオで、映画化されたのはこれが最初というのだから、二人にとって、まさに記念碑的な映画だった。しかも、しかもですね、岩下志麻のデビューで、そこんとこは知らないんだけど、岩下志麻と篠田正浩のなれ初め、さらに、さらに、この映画で寺山修司は九條映子と出会った...な、何かの因縁めいた映画なのであります。
 で、映画そのものははっきり言っておもしろくないです(^_^ゞ これは時代べったりという理由からで、いまの時代に見てもピンと来ないから。ただね、映画に普遍性を求めるのかどうかってこと。ちょこちょことつまみ食い的に見てみるとおもしろい。最初のヨットの上での三上真一郎と炎加世子のねっとりしたキスシーンなんて、ゑっ、この当時でこんなのありだったのと思わせてくれる。寺山を軸として見ると、壁のヒットラーであり、トロツキーであり、マキャベリだったり、そこにカストロの顔写真をピンナップする。そして卓也に「指導者にはマークが必要なんだ」と言わせる。
 話は最初に戻るけれど、かの六全協が1958年。「デモに行くやつはみんな豚だ」の台詞が挿し挟まれるのも、この時代、六全協を無視して成り立たない。これが善かれ悪しかれ、松竹ヌーベルヴァーグを生みだしたといっても過言じゃないと思う。大島のデビュー作『明日の太陽』(ノーギャラ、ノークレジット)が1959年、『青春残酷物語』の封切りが1960/6/3 というんだから、いかにどんな時代だったか。そしてこの『乾いた湖』は8/30なのだから、その時代のまっただ中で、篠田と寺山は国会からさほど離れていない神楽坂で協働していたという(『寺山修司全シナリオ』解題による)。つまりは「デモに行くやつはみんな豚だ」という響きは、もう一つの時代 ― 六全協へのアンチテーゼ ― を象徴している。
このあと、篠田は寺山と組んで『夕陽に赤い俺の顔 』(61)、『涙を、獅子のたて髪に 』(62)、『無頼漢』(70)を撮るようになる。
 ところで大島の『日本の夜と霧』は10/9に封切られ公開4日で打ち切りになってしまったのも、篠田の『乾いた花』が封切り延期になってしまったのも、松竹においてあまりに急激にあまりに先鋭化しすぎた皮肉なのかもしれない。
 と、そういう位置づけで見る分にはおもしろい。日本映画史のひとつの史料としてね。
 あ、岩下志麻、別嬪さんですぅ、が、全然脱いでません。九條映子はいきなり男の入っているでかい風呂にに飛び込んできて、寺山は隅っこでちょこっと出ていたというのだがよう見つけられませんでした。


製作 植野哲雄
監督 篠田正浩
脚本 寺山修司
原作 榛葉栄治
撮影 小杉正雄
音楽 武満徹
美術 佐藤公信
出演 .三上真一郎 / 炎加世子 / 岩下志麻 / 九條映子 / 山下洵一郎 / 高千穂ひづる / 寺山修司
★★★☆



↑投票ボタン



2003年04月30日(水)
 ≪   ≫   NEW   INDEX   アイウエオ順INDEX   MAIL   HOME 


エンピツ投票ボタン↑
My追加