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 篠田正浩『涙を、獅子のたて髪に』(1962 日)

 一体に自分の中で昔くさく感じてしまうのはどのあたりを境にするのだろうか。この映画を見に来ていた人のほとんどにとって、これは昔くさいことこの上ないと感じていたはず。ボクもたしかに昔くささを感じていた。例えば、加賀まり子のあまりのバタ臭さでもあったりするのだけれど、石坂浩二と騒がれたころにはもうすでにそのバタ臭さも抜けてたし、『陽炎座』などになると、十分姐御然となってたしね。映画館に来ていた20代の若い子らにはどう映ってんだろ。話はちょっとそれたけど、自分の中での昔くささを感じる境目は東京オリンピック1964年あたりの気がする。自分史の上では、どっと寺山修司や唐十郎に傾倒して行った1967年あたりより以前のことは昔くさく感じてしまう。それ以降については自分でその歴史の中に入って行ったと思えるのだけれど、それ以前となると、歴史でしかありえない。「アンポハンタイ」と小学校の校庭でアンポごっこしていた、そういう歴史でしかない。
 ただ昔くさいと言っても、ちゃんと覚えてるよ。この映画の1962年当時、確か坂本九の『上を向いて歩こう』もこのころだったはずで、ナベプロがテレビのブラウン管の中を席巻していた。いまのジャニーズ事務所以上だね。そして映画からテレビに時代が移っていくころ。すでに62年では立場が逆転していた(完全に押しきられてしまうのは東京オリンピック)。
 さてそこでこのボブ=藤木孝の起用は、ナベプロからの圧力が大きかったはず。一面には、藤木孝を売り込むために松竹が撮らせた映画と言えなくもない。実際、いまでもそうなんだけれど、タイアップされた映画というのは、この前後に多く撮られていた。加賀まり子もたしか初めはナベプロの息がかかってたような気がする(曖昧)。というわけで、この二人をサポートするべく、早川保、岸田今日子、南原宏治というような役者が配置されたんだろうけれど、ちょっとこの二人との演技の差を感じてしまうな。
 それはさておいて、港湾荷役労働者の組合設立というのもなぁ、これも今見ると昔くささを感じてしまう一因なんだけど、しゃあないか、時代が時代だったんだから。その労働者たちと、その労働者たちを雇う経営者たち、その対立の中での『ロミオとジュリエット』みただと思ってたら、やっぱり篠田の頭にはその考えがあったらしい。思うに、この『涙を、獅子のたて髪に』は《寺山修司没後20年記念映画祭》の中で見たのだけれど、たぶんに篠田の色が強い。端々に寺山のにおいはするのだけれど、脚本寺山修司と聞かされてなかったら、「えっ、寺山が脚本書いてたの?!」となってたと思う。ラストの港に海に向かって加賀まり子が一人残され、労働者が左右に別れて消えていくところなんて、とても篠田正浩っぽい、というかヌーベルヴァーグそのものじゃないね。冒頭のコンテナの周囲に労働者達が群がって、スクリーンをこっち向いて迫ってくるシーンもすごい絵だったな。
 それでも、労働者の中にフック付きの義手の労働者なんかがいるというのは寺山なればこそ。

※ 加賀まり子の話では、藤木孝がナベプロを辞めてのちにこの映画の話があって、当時、加賀まり子の父親がプロでユーサーだった関係でちょくちょく加賀の家に出入していた篠田と寺山が、まだ素人だった加賀まり子に「1回だけでいいから出てくれ」と頼んだらしい。ということは、上に書いたナベプロの圧力というのは間違いですね(-.-;)


製作 白井昌夫 / 若槻繁
監督 篠田正浩
脚本 寺山修司 / 水沼一郎 / 篠田正浩
撮影 小杉正雄
音楽 武満徹
美術 梅田千代夫
出演 藤木孝 / 早川保 / 加賀まり子 / 岸田今日子 / 南原宏治 / 山村聡
★★★☆



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2003年05月02日(金)
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