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 東陽一『サード』(1978 日)

 製作の前田勝弘さんが5/2、大阪の自宅の火事で焼死されたようです。謹んで哀悼の意を表します。合掌。。。

 この寺山によるシナリオってのが、非常に映画監督泣かせで、シナリオの最後には「ラストシーンを作るのは、演出家の仕事です」なんて書かれてあるくらい。寺山のシナリオ集から引用しておくと、シナリオには「見たものを保管しておくためのイメージを喚起せしめるための台本」と「一個の作品として映像と切り離してレーゼ・ドラマ」という2通りの考え方があって、この『サード』での寺山のシナリオはまさに後者のレーゼ・ドラマとして提出されている。
 いきなり何を難しいこと言うとんねん、このまごちゃんは(^_^ゞ 簡単に話を書いておくと、少年院に入れられたサード(永島敏行)の話なんだけど、やっぱりこのサードにも父はいない。母一人、子一人。この環境というのにあくまでも固執するのが寺山。ちなみにサードの母親役を演ってんのは島倉千代子というのがイケテル。
 どうでもいい話なんだけれど、体操のシーンね、これ、『刑務所の中』でも同じだったのね。「中島基準!体操の隊形に開け!」「おおーーっ!」 このバカくささ、一部の人間にしかわからないけれど、とにかくボクには受けたヨ。どこぞとおんなじ、ヒヒヒヒって。あ、ほんとこれは内輪受けの話ですんまそんm(__)m
 基本的に『刑務所の中』の話ではあるけれど、サードの幻想、回想が挿入されて、そちらのほうにどんどん膨らんでいく。その中で、一番の中心に据えられるのが、高校時代に野球部でサードを守っていたからサードと呼ばれるようになったこと。そして、ランナーは自分の横を走り抜けてホームに返っていく。今度はサード自身が打ってベースを蹴って走る。サードベースも蹴って...ところがホームベースがない。このカメラ最高です。この一番象徴的な挿話は、いま21世紀の高校生などから見たときに、「何をはんかくさいこと」と感じるかもしれない。ところがやっぱりホームに戻ってくると、ホームベースはなくなっていて、20数年前にサードがしたのと同じように、今の高校生でもベースを何周も何周も走る。あ、それともコンビニの前でへたりこみますか。
 ところでこの野球のベースランニングから、さらに、『ライ麦畑でつかまえて』と同じくらいに流行したアラン・シリトー『長距離ランナーの孤独』(1962年にトニー・リチャードソンによって映画化されている)に走って行ってしまう。それはそれでいいんだけど、ラストなんかは完全に『長距離ランナーの孤独』だよなぁ。シナリオにも『長距離ランナーの孤独』の示唆はある。
 さて話を元に戻すと、寺山のシナリオでは、上に書いたホームベースのないベースランニングの幻想も盛り込まれている。地面にホームベースを棒切れで描くというように、確かにホームベースに固執はしている。ところがすごく気になったのに、映画ではなくなっていたのが、ベースランニングするときに一塁ベースがなくなっている。2塁ベースに走ると2塁ベースもなくなっている。3塁ベースもホームベースも。新聞部(森下愛子)が全部のベースを盗んでいってしまったというサードの幻想がシナリオにはある。う〜んとボク自身もちょっと混乱してるのだけれど、ホームベースを特化すべきなのかどうなのか。ある意味で「ランナーは自分の横を走り抜けてホームに返っていく」というのはボク的にどことなく気恥ずかしかったりもするのは確か。寺山修司がシナリオはたたき台ってんだからまぁいいかぁ。でもボクは今でもどっちなのか迷ってる。
 それはそれとして、サードが少年院送りになったのは、高校生売春のポン引きをやって、そこでヤクザ男(峰岸徹)を殺したんだけど、その売春やってしまう女子高生が森下愛子で、あゝもうたまりません。乳首はピンクだしさ、なんといっても形がすごくいい。もうぞくぞくしてしまう。昔から好きなの。永島クン、今度はボクにも声をかけてよね。


製作 前田勝弘
監督 東陽一
脚本 寺山修司
原作 軒上泊
撮影 川上皓市
美術 綾部郁郎
音楽 田中未知
出演 永島敏行 / 森下愛子 / 吉田次昭 / 志方亜紀子 / 内藤武敏 / 峰岸徹 / 片桐夕子 / 穂高稔 / 市原清彦 / 根本豊 / 島倉千代子
★★★★☆



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2003年05月07日(水)
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