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 ピーター・グリーナウェイ『ピーター・グリーナウェイの枕草子』 (1996 英, 仏, 蘭) ★☆

 これはこれでありなんだろうけれど、ヨーロッパから見れば、日本も中国も一緒くたなんだろう。イギリスとフランスの差なんかも、ボクらが頭の中で描いている以上にかけはなれてるのかもしれない。ボクらがイギリスとフランスを区別できていると考えているのと、同じようにヨーロッパの人間、ピーター・グリナウェイも区別してると考えてんじゃなかろか。ある意味では、異なった視点から見た日本観ともとれるかもしれないけれど、それにしても違和感がつきまとってしまう。
 現代に甦った清少納言こと清原諾子が『枕草子』を著していくというんは別にいいんだけれど、その諾子がヴィヴィアン・ウーってのがね、もっとも大きな違和感の始まり。日本人に適当な女優がいなかったからかもしれないが、あくまでも話の中では日本人の清原諾子であって、周囲に緒方拳や吉田日出子だとか、日本人で固めておきながらね。出版社の社長を演っているのはオイダ・ヨシで、なんかみたことあるよなぁと思いながら、どうも日系のヨーロッパの人間らしい。ちょっと調べてみたけどわからん。
 それはともかくとして、極めて日本的な情景からいきなり香港に飛んでしまう。だからまsます違和感が増幅される。もっとも日本を体現してくれなきゃいけない清原諾子に香港の女優を使って、そして舞台を香港にもって行かれたら、清原諾子=香港というけったいな距離感が生じてしまって、すなおに入っていけないでしょ。ここんところは日本人が見るからそうなんであって、ヨーロッパの人間が見たって、香港も日本も距離としては変わらんからな。
 それともうひとつ「清原諾子」って名前。ここで「清原諾子」という名前は非常に重要なファクターを持たされているにも関わらず、まぁ「清原」はいいんです。清原で、まず脳みそ筋肉男=清原和博を連想する日本人は古典の勉強不足です。「諾子」これすっと読める人います? いちおう「諾子」でも検索かけてみたら、そういう名前の人はおるにはおるらしいけど、いまだかつてその名前の人に出会ったことありません。「ナギコ」 実際にその名前の人がいるのでとやかく言う筋合いではないけれど、あまり関心でけへんよ。どこかの文献に清少納言の名前は「諾子」だとでもあったんだろうか。ボクの知る範囲では清原深養父の息子が元輔で、そのまた娘が清少納言。平安時代には男には名はあったけれど女には、皇族以外では名はなかったはず。
 さて淀長さんも言うように、確かにグリナウェイというのは感覚だけの問題で、すべてにおいて感覚だけを繋ぎあわせていくわけなんだけれど、はたして日本人に対して、この『枕草子』は説得力があるのかというと、どうもあるとは言いがたい。
 「耳なし芳一」から想起して身体に書きまくったって、日本人とって、あの書ではとうてい納得できないわけだし、「刺青」がひとつのモチーフになっていると言われても、ああ〜ん、あれで?っとなってしまうのね。タットゥーと刺青とは厳に区別されてしかるべきでしょ。そこにホモありーのフェチありーの、はたまた浮世絵を臭わせたつもりのポルノありーのときたら、食い合わせが悪すぎ。断片的に仕入れてきた日本の古典を、グリナウェイといういれものに入れてごちゃまぜにした、あるいは手当たり次第に食いまくったグリナウェイの胃の中を見せられているとでもいうておきましょう。
 まぁストーリー的にはグリナウェイはおもしろいはずがないのでいいとしても、13の書などの稚拙なところはどうにもだし、分割されるスクリーンのうるさいばかりでおもしろくはないです。着想と感覚におぼれすぎ。

THE PILLOW BOOK
監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ
撮影 サッシャ・ヴィエルニ
出演 ヴィヴィアン・ウー / 緒形拳 / 吉田日出子 / オイダ・ヨシ / ユアン・マクレガー / ジュディ・オング / 河合みわこ / 光石研

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2003年10月08日(水)
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