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 レオス・カラックス『ポーラX』 (1999 仏,独,スイス,日) ★★★☆

 ドヌーブ、いいおっぱいだねぇ。。。。。
こらこら、何を見てるのだ。でも、大女優カトリーヌ・ドヌーヴが、肌もあらわに...なんて、特筆モンでしょ。なんぼ熟女、薹が立ち過ぎてるとはいえ、ドヌーブのおっぱい見ないという手はないでしょ。バスタブの白いお湯からはっきりビーチクまで出て見える。あまり必然性は感じませんが.....なんで脱いだんだろって、ちょっと考えてしまった。たぶん母親と息子の近親相姦のにおいをさせたかったからでしょ。さすがに息子ピエール(ギョーム・ドパルデュー)とドヌーブをからませるわけにはいかないでしょ。ちなみにドパルデューのほうは姉イザベル(カテリーナ・ゴルベワ)と、これはほんとうにやってしまってるな。さすが99年になると、日本でも公開されるのにボカシ入ってなくて、ドパルデューのおちんちんがはっきり。そこはポルノというわけではないので、映像でなんとかしてるけれど、たぶん16mm、あれは絶対に入れてるよな。
 をらぁ〜、誰か止めてくれい{^。^`;ヨホホ ふつうはですね、『ポンヌフの恋人』以来、8年ぶりの沈黙を破って・・・・なんて始めるべきなんですが(笑)
 原作は『白鯨』のメルヴィルで『ピエール(Pierre Ou Les Ambiguites)』。ボクは大学時代に『白鯨』は読みかけたけれど途中で挫折。メルヴィルはそれっきりで『ピエール』なんか知らない。なんでも「狂気の書」とまで言われたらしく、レオス・カラックスはこれをまだ若いころに読んで、ずっと暖めていたらしい。どこまで原作かわからんけれど、レオス・カラックス好みの話。ノルマンディーの豪邸の息子ピエールが、外交官であった父親がよそに作った娘、つまり腹違いの姉と出会ってヴァロンブルーズ家が崩壊していく.....と、なんとも凄惨。自己を否定することでその向こうに真実を見いだそうというのは、レオス・カラックスがアレックス三部作から一貫して追い続けていること。それはそれでいい。
 レオス・カラックスの不幸というのは、『ボーイ・ミーツ・ガール』で持ち上げられすぎて、アレックス三部作でもそうだけれど、他の作品と比較されてしまうこと。それは彼自身が、他作品との差異化を試みようとするからで、そこのところはどっちがニワトリで、どっちが玉子と言えなくもない。そしてやっぱり比較してしまうのだけれど、『ポンヌフ』のアホみたいなビジュアル化は影を潜めた、とは言うものの、突然現れるわけのわからないオーケストラなどはレオス・カラックスらしい。が、レオス・カラックスがやるとどうも空回りの感が拭えない。彼のひとりよがりとでも言えそうな。そういうところがレオス・カラックスの不幸なんだよねぇ。もっとさらっと行っちゃえばいいのに、大仰なんだよ。たぶん、そういう人なんでしょ。
 ずばり、この映画のテーマは《転倒》ですね。よう、こける、よう、こける。女を男が追いかけていって、男の方がすっ転んでどうすんのよ。そのあと女がすっ転んで捕まるんだけど... このピエールがイザベルを追いかけて、はじめて二人が出会うシーンに限らず、バイクでもこけてくれるし、《転倒》ということに何らかの意味をもたせてんでしょうか(-.-;)
 イザベルのカテリーナ・ゴルベワは存在感があった。『ポンヌフ〜』のジュリエット・ビノシュに負けず劣らず、きちゃなく仕上げられていたけど、あの人、ほんとは美人なんでしょ。それに比べて、イザベルの対岸をなすリシューのデルフィーヌ・シュイヨーは影が薄くて、これは前半の部分でもっと植え付けられていなければならないのに、すっかりドヌーブに目が行ってしまう仕組みになって気の毒と言えなくもないですが

POLA X
監督 レオス・カラックス
原作 ハーマン・メルヴィル
脚本 レオス・カラックス / ジャン=ポル・ファルゴー
ローランド・セドフスキー
撮影 エリック・ゴーティエ
美術 ローラン・アレール
衣装 エステル・ヴァルツ
編集 ネリー・ケティエ
音楽 スコット・ウォーカー
出演 ギョーム・ドパルデュー / カトリーヌ・ドヌーヴ / カテリーナ・ゴルベワ / デルフィーヌ・シュイヨー / ペトルータ・カターナ / ミハエラ・シラギ / ローラン・リュカ / サミュエル・デュピイ / パタシュー / シャルナス・バルタス

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2003年10月20日(月)
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