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 大島渚『東京占戈争戦後秘話』(1970 日) ★★★★★

 この頃の大島渚はほんとうにおもしろかった。ボクがこんなになってしまったのも大島渚のせい(笑)と言っても過言じゃない。69『新宿泥棒日記』、69『少年』、70『東京戰争戦後秘話』、71『儀式』、72『夏の妹』とずらっと並べてみたら、ほんと、これがボクの青春だったなと思えてしまう。
 「グループ・ポジポジ」とは都立竹早高校の映研が元で、学園紛争の中で組織される。彼らが撮った『天地衰弱説』を大島渚が見い出し、大島渚が直接、彼らを口説いてでき上がったのが、この『東京戰争戦後秘話』この間のいきさつについては、その「グループ・ポジポジ」のメンバーの一人堀越一哉さんが『記憶の残像』(特に第14回)としてWEBで公開されているので読んでみて。この「グループ・ポジポジ」のメンバーというのは、ボクと全く年が同じで、同じような体験をしてきていることもあるんだけれど、やっぱり68年新宿騒乱事件を目の当たりにしてるのが、ちょっと羨ましい(゜゜)
 さて、この『東京占戈争戦後秘話』の戦争の「戦」の字が「占戈」と書かれているのは、当時の大学紛争で用いられたもので、高校映研「グループ・ポジポジ」(撮影当時はメンバーは大学に進学したばかりだったが)を大学映研に置き換えられている。そして、当時の大学紛争、70年安保闘争がドキュメントされていたり、中核・革マルなんてもろまんまで出てきてしまうくらいで冷や冷やするって。映研内での、いかにも時代を反映した討論(ボクなんかよく「不毛の討論」なんて言ってた)が映しだされる。だからそのような類の映画なのかというと、さにあらずで、元は『東京風景戦争』とタイトルされるはずだったらしいことが予告編でも語られている。
 ボクなんかはアホだったからね、その当時に「東京占戈争」とくに「占戈」のほうにばかり目が行ってしまってんだけれど、大島渚が『新宿泥棒日記』でも見せたように街の風景を切り取る作業そのものなのだ。『新宿泥棒日記』では、ある意味、新宿の町に限定されていたけれど、この『東京占戈争〜』では東京という都市そのもの、匿名的ではあっても「東京」ということばを冠せられる風景、もちろんその中には大学紛争も70年安保闘争も中核・革マルも風景として同じ地平に立つわけ。
 とすると、ここで「グループ・ポジポジ」という俳優としてはドシロート同然の人間しか出てこない、ちなみにこれ以降に映画に出演したのはだれ一人いない、のは必然だったんじゃないか。同じようにドシロート=横尾忠則を立てた『新宿泥棒日記』をさらに一歩進めたと言ってもいいでしょ。ついでに『記憶の残像』から拾った話だけれど、はじめに大島からは『映画で遺書を残して死んだ男の物語』と持ちかけられ、メンバーの原正孝のシノプスに佐々木守が手を加えたのちに、メンバーに出演依頼が来たという。なるほどね、って話でしょ。

 それから30年が経ち、その間に、ボク自身にも荒木経惟や森山大道(68新宿なんてまんまやんねぇ)が見えてくると、ますますこの『東京占戈争〜』はそうだったんだよねって思えてくるようになった。つい最近だと高梨豊の『地名論』かなぁ。はからずも、荒木経惟が「もうウソっぱちは・・・・」と書いた『センチメンタルな旅』をゴダールとトリュフォーにも送った。都市の風景こそヌーベル・ヴァーグが描こうとしたものだったと思える。
DVDに付録でついてる予告編もおもしろいよ。あ、堀越一哉さんの『記憶の残像』も必見。大島渚と成島東一郎の火花とかね、おもしろい。
 


製作 山口卓治
監督 大島渚
脚本 原正孝 佐々木守
主題 大島渚 田村孟
撮影監督 成島東一郎
音楽 武満徹
美術 戸田重昌
録音 西崎英雄
編集 浦岡敬一
出演 後藤和夫 / 岩崎恵美子 / 福岡杉夫 / 大島ともよ / 福田健一 / 磯貝浩 / 堀越一哉

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2003年11月10日(月)
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