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 アニエス・ヴァルダ『落穂拾い』 (2000 仏) ★★★★★

 ミレーの『落穂拾い』から、「アニエスは、カメラをもって旅に出た。」(公開時のコピー) つまりアニエス・ヴァルダ自らも、カメラを持ってフランス中のグラナージュ(拾い集めること)、グラヌール(拾い集める人)を撮って歩いたドキュメンタリー。
 さてここで、例えば荒木経惟が『東京コメディー』などと称して東京の町を撮り歩いた写真集を見て、それをドキュメンタリーと呼ぶのだろうか。荒木経惟の場合、彼はいつもどこかに物語性を求めていたりするから、まず誰もドキュメンタリーとは言わない。じゃ、森山大道の場合は? 荒木経惟なんかに比べれば物語性は排除されてしまってはいるのに、『新宿』を見てもドキュメンタリーとは到底思えない。それが媒体が写真集だからなのか。
 物語性を排除したノンフィクションであるとか、役を演じる俳優を使わないとか、そういうところにドキュメンタリーがあるとするなら、この『落穂拾い』は確かにドキュメンタリーにちがいない。が、この『落穂拾い』は極度にドキュメンタリーっぽくない。しいていうならば、現代の落穂拾い、落穂拾いをする人を題材にしたムービー・エッセーとでも言うもの。
 落穂拾いというのは、収穫後に収穫し残した落穂、つまり元は麦の落穂を拾い集めて自分たちの生活の糧にしたという。ミレーの『落穂拾い』はその様子を写実したもの。そこから発して、現代の落穂とは何か。まずは、収穫し残したり、収穫されずに見捨てられたり、収穫されても廃棄された農作物を指す。それがじゃがいもであったり、リンゴであったり、イチジク、ブドウであったり。そしてそうした落穂を拾い集める人はいて、それを生活の糧にしている人もいれば、それを売って生活の足しにする人もいる。もちろんそれを単に楽しみで拾い集める人もいる。おもしろいことに、そのようなグランヌールの権利を守る法律が、16世紀に定められ、いまもなお生きていて、また個々にルールが定まっている。
 落穂は、農作物から、牡蛎などの養殖魚介に広がり、さらに都会でのゴミにまで拡張される。そこにも収穫し残したり、収穫されずに見捨てられたり、収穫されても廃棄された落穂がある。つまり市場で売れ残ったもの、賞味期限を過ぎて廃棄されたもの、さらにまだ修理すれば十分に使える粗大ごみなど。そしてその現代の都会の落穂にも、同様のグラヌールが存在し、グラナージュを主義として主張するグラヌールまでいる。
 そこで、飽食であるとか、消費文明であるとか、それらに対しての批判をおしつけてきたら愚にもつかないドキュメンタリーになりはててしまうのだけれど、そこここにアニエスの自画像がはさまってくる。1928年生れだから、撮影当時で72歳。しみが浮いた皺になった手が接写される。これも落穂なのか。いみじくもアニエス自身が語る、老いは友達だと。

オフィシャルページ  



LES GLANEURS ET LA GLANEUSE
監督・脚本 アニエス・ヴァルダ
撮影 ディディエ・ルジェ / ステファーヌ・クロズ / パスカル・ソテレ / ディディエ・ドゥサン / アニエス・ヴァルダ
編集 アニエス・ヴァルダ / ロラン・ピノ
音楽 ジョアンナ・ブルズドヴィチュ
録音 エマニュエル・ソラン

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2004年01月02日(金)
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