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 ミケランジェロ・アントニオーニ『さすらいの二人』 (1974 伊, 仏, 西) ★★★★★

 アントニオーニの虚無三部作って言われてんだってね、知らんかった(ΘΘ)ρ あ、『欲望』(1966)『砂丘』(1970)、そしてこの『さすらいの二人』(1974)。アントニオーニには60年代の三部作『情事』、『夜』、『太陽はひとりぼっち』もあるんだけど、『太陽〜』しか見てないや。いっぱい見たつもりでも見てないのが腐るほどあるんだなぁ。
 ところでAllCinemaOnlineによると、公開時のコピーは《永遠の愛を求めて さすらう男と女−− / 巨匠アントニオーニが流麗に描く哀しくも美しい愛の旅路−− / あの人はもういない つかの間の幸福が過ぎ 又、一人ぼっちになってしまった》って、をーセンチメンタル、乙女ごころをそそるよのぉー。が、この当時でアントニオーニの評価ってのは確かに巨匠とは言われてはいたけど、決して売れ線ってわけでなかった。それはこの『さすらいの二人』――邦題からしてセンチメンタルだ――を見たらすぐわかる。きっと寝てるよ(爆) でも三部作の中では、これが一番わかりやすいっていうか、『太陽〜』と同じようにミステリーっぽくって
 アフリカ、どっかの砂漠地帯。ジャーナリストのロック(ニコルソン)、をーまだこの頃のニコルソンってスリムなんだぁ、この頃のっていうと『イージーライダー』のニコルソンを思い出すけど、そのニコルソンが、ある砂漠の中の町にやっってきて、投宿したときにホテルの部屋で、ロバートソンに出会う。そしてどいうわけだか、ロバートソンが突然死んでしまうんだね。そのロバートソンと入れ替わって、つまりニコルソンはロバートソンに成りすまして、ジャーナリスト=ロックは死んだことにする。ロバートソンに成りすましたわけだから、彼の手帳に記された予定のように行動してみると、ロバートソンは武器密輸団の一味で、これはヤバいと次の予定でバルセロナに飛ぶ。このバルセロナはボク個人的には喜んでしまったね。というのは、去年の夏に行ったグエル邸やカサ・ミラというガウディのモデルニズモ建築でロケしてる。サクラダ・ファミリアはなかったけどな、あのナントカ山に上がるロープウェーは海の上をまたいで行くのだ。乗ればよかったか。そのロープウェーの窓から上半身を突きだしたニコルソンの絵は最高だね。そしてそのグエル邸で、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のマリア・シュナイダーと出会って「さすらいの二人」となるんですよ。ふーっ(^◇^;) あ、これではマリア・シュナイダーはちらっとだけね。変な期待をしたらダメよ。
 でね、あら筋だけ見たら、《哀しくも美しい愛の旅路》なんて思うでしょうが、そんな甘いもんやおへんえ(←いきなり京都)。
 『砂丘』でもそうだし、この『さすらいの二人』でも、砂漠がひとつのキーになってるでしょ。「砂漠」=「虚無」と簡単に結びつけてええんだろうかとも思うんだけれど、アントニオーニの描きだした砂漠は、最近の映画の砂漠で思い出すのは『ザ・セル』なんだけど、あんなファッショナブルなものと違うね。あれは単なるはめ込み画像にしかなってないんだよ。そうでなくて、砂漠の中でクルマがスタックするでしょ。あのギラギラ照りつける太陽ってのは、カミュの『異邦人』の太陽のように思えてね、なんの理由もない、ただ砂漠が熱かった、それだけで、それまでのジャーナリストであった自分、を投げ出してしまった。と、そう考えてもいいよな。この感覚ってわかるでしょ。
 それからもひとつ印象的なのは、「さすらいの二人」となったマリア・シュナイダーが「ひとつだけ質問してもいい? 何から逃げてるの?」という問いかけに、ニコルソンが「クルマの後ろをみてごらん」ってところ。ここではさっきのニコルソンが海に向かって突き出たように、マリア・シュナイダーが空に突き出るんだよね。
 そしてそして何といってもすごいっていうか、がつぅ〜んと来るのはラスト。思わずじーーと見入ってしまう。それまでとは一転、静かです。

IL REPORTER
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
製作 カルロ・ポンティ
脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ / マーク・ペプロー / ペーター・ワレン
撮影 ルチアーノ・トヴォリ
音楽 イヴァン・ヴァンドール
出演 ジャック・ニコルソン / マリア・シュナイダー / イアン・ヘンドリー / ジェニー・ラナカー


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2004年02月22日(日)
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