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 市川崑『炎上』 (1958 日) ★★☆

 つい最近、原作の『金閣寺』を読んだばかりだから、読み終わるのを待ってこれを見た、すると非常につらいものがあるんよね。例えば、柏木、映画では戸刈(仲代達矢)が尺八を奏するシーンでは、まごぽんのほうに引用したような内的なところまで映画で表現できるかというと、非常にしんどい。それを表現しようとすると、独白という形をとらざるをえないのかもしれない。が、あえて(かどうかはわからないのだが)、市川崑はそれを避けて真っ向から撮りこもうとした。でもやっぱりしんどいことはしんどい。
 今度、読み返してみて、いかに三島の原作に、『金閣寺』に限らないのだが、内的なパートが占める割合が多いことか。その中で、三島は三島流の美学を語っている。そこまで映画に要求するのは酷かもしれない。
 驟閣(どういうわけか映画では金閣ではない)そのものにしても、これは製作費の関係かもしれないが、三島が讃めたたえた美というのが全く伝わってこない。むしろ侘びしい。これをまたハリウッドなどでやると、バカほどの製作費をかけたものになってイヤらしく写るのかもしれないが。
 もうひとつ、原作で「乳房が金閣に變貌した」というように、鶴川と目にした「あれは、一體、生きてるんやろか」に続く、乳房から茶に乳がほとばしるというくだりは非常に重要な部分なのに、これも時代の要請というべきか、女は現れても、その乳房は出現しない。させられなかったというべきかもしれないけれど。
 とにかく驟閣の美という視点から大きく外れて、貧しさや身体的障害といったいわゆるマイナス志向から、また老師の俗界への帰属というありきたりな理由から、驟閣の放火に至ったように矮小化されてしまうのがなんともねぇ。だから、『南泉斬猫』の講話とてとってつけたような話になり果てるし、そして、そして何と言っても、最後で、小刀とカルチモンの瓶を投げ捨てるのとは全く逆に、それを使ってしまわざるをえないことになってしまうのだ。この結末は絶対受容れられませんよ。
 それはそれとして、三島の『金閣寺』から離れてみてみると、離れないとダメですよー。時代的には白黒は当然なんだけれど、そのコントラストとの効いた映像は見事。欲をいうと、もっと製作費出したれや(^◇^;) 当たり前といえば当たり前のことだが、老師の中村鴈治郎はすごいしね、仲代達矢や、ちょっとだけだけど中村玉緒、新珠三千代の思いきり若い姿も見れる。そしてバイプレーヤーの信欣三、北林谷栄(役回りが良くないよなぁ)も、あ、もちろん市川雷蔵もな。


監督 市川崑
脚本 和田夏十 / 長谷部慶治
原作 三島由紀夫
撮影 宮川一夫
音楽 黛敏郎
美術 西岡善信
出演 市川雷蔵 / 仲代達矢 / 中村鴈治郎 / 北林谷栄 / 信欣三 / 中村玉緒 / 新珠三千代 / 舟木洋一 / 浦路洋子 / 浜村純

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ひとつ前 オーソン・ウェルズ『オーソン・ウェルズの フェイク』 (1975 イラン, 仏, 西独) ★★★★

2004年03月01日(月)
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